てつまろの気儘な日常

日常生活での出来事や趣味のことなど気儘に書いております。
09年に開設、22年6月にこちらへ引っ越しました。

初春の北関東ドライブ-後編-

2024-03-20 16:39:13 | 光画部

銀山平から戻り、親水公園に立ち寄り。

堰堤から雪解け水が勢いよく流れ落ちます。

バックは中倉山あたりでしょうか。

この先、中倉山の登山口まで行けるはずですが、年度末まで工事のため通行止めでした。

製錬所の大煙突を撮って足尾の街へ下っていきます。

時間はちょうどお昼。通洞駅前に飲食店があったはず・・・とクルマを走らせましたが、やってませんでした。

うむ、昼食難民になるか?と、不安になりながらも足尾銅山観光の駐車場に駐車。

”←お食事”の看板を見つけたので行ってみます。

薄暗い昭和時代のビルに、一軒だけやっているお店がありました。助かった!

おばあちゃんがお一人で切り盛りされているようです。

悩んでオムライスを注文。同行のまろねふさまが食べ終わる頃に供されました。

手作り感いっぱいのオムライスに大満足。

お腹を満たしたら、いざ観光へ。

足尾銅山の坑内軌道は軌間508mmでしたが、流石に観光用の軌道は違いました。

測っていないけど、910mmかな?

銅山に関わる展示が沢山。

興味深かったですよ。

坑道入口の広場には往時の作業車や削岩機が展示されていました。

屋外展示ですが、50年経っていることを考えれば、状態は良いほうかな。

そういえば、乗った観光車両を撮ってなかったので待ち伏せ。

右のが一応機関車?

乗車口から坑道入口までの区間で運用されていて、110‰の勾配を登り降りするためにギアがついてました。

ドクターイエローっぽいカラーリングが面白いですね。

土産物店を抜けて入口に戻ったら、次の便が出ていきました。

右上でお猿さんが見送ってます。

足尾観光はこれでおしまい。

さて、宇都宮に戻りますが、往復するのは勿体ないので周回ルートを選定。

足利駅前で一休みして、

EF60の保存機を撮影。現存する唯一の四次車です。

足利から宇都宮まではR293から県道6号のルート取り。

途中、葛生を通過しましたが、予備知識ゼロだったんで廃線跡は見つけられず。

 

陽が傾いてきて、お腹も空いてきました。

「軽く佐野ラーメンでも食べる?」とか言いながらもお店はなく、結局宇都宮の街に到着。

お疲れ様!ということで、最近できたお寿司屋さんでお腹を満たしました。

うーん、やっぱり北関東はディープやなぁ。

宇都宮からの帰路は、東北道が事故渋滞だったので、首都高を通らず、圏央道経由で八王子まで走り、あとはR16で帰着。

充実の北関東ワンデイでした。


初春の北関東ドライブ-前編-

2024-03-17 16:48:26 | 光画部

この週末、シーズン最後の雪山でも行こうか?と思案するも、土曜日はかなり気温が上がりそう。こりゃ駄目やな。

そういえば、宇都宮のまろねふ様が今月末には広島に帰任されるじゃないですか!

立ち上げお疲れさまでした!ということで、週末のご都合を伺ったところ、土曜日に足尾界隈へのドライブと相成りました。

宇都宮市内のコメダ珈琲で待ち合わせ、モーニングで腹ごしらえして出発です。

一般道を走って、いざ足尾へ。

道路脇に東武の凸型電機が。

運転中なので、ノーファインダーで撮ったのでこんな画像。

日光市内線の痕跡を見ながら高度を上げ、日足トンネルを抜けて足尾の街へ。

さすがオフシーズン、人通りがほとんどないわ。

間藤から足尾本山の間にかかる鉄橋。

いい感じで枯れてます。

画面右に写っている学校跡の方へ行ってみます。

渡良瀬川を渡った鉄路は、学校のすぐ下を通り、トンネルに吸い込まれていきます。

左の岩山を抜けて、正面に見える製錬所に併設された足尾本山まで線路が続いています。

次は、製錬所手前に写っている橋を渡ってみます。

トンネル手前に塗り直された腕木式信号機。

廃線跡を辿れますが、画像は割愛。

振り返ると、

かつての社宅であった、青い屋根の家並みが残っていました。

更に奥に進みます。

足尾本山駅跡。

朽ちた木造駅舎と、煉瓦造りの油庫、そして錆びついた腕木式信号機。

まわりの山々は茶色。植林していますが、この時期は葉を落としているので禿山のように見えてしまいます。

足尾銅山、通洞側だけでなく、備前楯山を挟んで反対側にも坑道がありました。

せっかくここまで来たんで、車を走らせます。

こぶし大の落石や落枝を避け、日陰に雪が残る道を走ってたどり着いたのは、銀山平。

明治時代は索道が三方向に伸びていたようですが、現在は何も残ってません。

今、ここはキャンプ場になっています。また、庚申山や皇海山の登山口です。

数名のハイカーが居ました。

では、足尾へ戻りますかね。


ぶらり鶴見線&南武支線-後編-

2024-01-17 21:29:01 | 鐵道部

浅野駅で扇町方面の列車を待ちます。

ふと、安善駅方向を見ると、ホームが見えました。

ごちゃごちゃした架線柱が、いかにも工業地帯!って感じです。

線路は意外とヘロヘロですね。

やってきた列車は浜川崎行き。

扇町行きを待っている間に転線してから折り返して行きました。

やっと扇町行きが来て、二駅乗車。

無機質な扇町駅に到着。

ココも折り返し時間が3分しかなく、ササッと出場&入場処理をします。

ホームに冬日が差し込んでいて、ニャンコ駅員が日向ぼっこ中。

巡視で回ってきました。

そうこうするうちに出発時刻。浜川崎に戻り、南武支線経由で帰途につきます。

浜川崎手前の電留線に205系の2Mcが停まっていて、浜川崎では向かいのホームに回送表示の205系が停車中。乗ってきた131系から降りたところで電留線へ向かって行きました。

ここの乗り換え待ち時間は20分ほど。

205系はどこへ行くのか?と、待っていたらにわかにホーンが鳴りました。

弁天橋方向へ走っていきました。

残った205系3連は?と思ったら、にわかに警報機が鳴り始めて・・・

尻手方面へ走っていきました。

中原区で検車した車両の入れ替えだったのかな?

うまいこと205系先頭改造車が撮れたので満足です。

尻手までは127系に乗車。

この車両、車内広告の類いが皆無でした。

首都圏ではとても珍しく、ひょっとしたら今年度末で引退?かと邪推してしまいます。

233系で南武線、京浜東北線、根岸線と乗車して、根岸で下車。

タンク車を入れ替えるENEOSの動車を撮影しておしまい。

青色の動車を撮りたかったのですが、残念ながらハズレ。

日曜午前中のお出かけ、十分すぎる収穫でした。


ぶらり鶴見線&南武支線-前編-

2024-01-15 21:43:32 | 鐵道部

都内や横浜で初雪が舞った翌日14日、鶴見線と南武支線へ行ってみました。

始発バスから京浜東北線に乗り継いで鶴見駅へ。

降りたら目の前を甲種回送が通過。

横浜市交通局の車両みたいです。どこでOn Railするのかな?

鶴見線のホームに上って見ると、居ました!205系

冷え込んだ早朝だけあって、撮り鉄はごくわずか。ゆったり撮影です。

海芝浦行きを見送ってから、大川行きに乗車。流石にこちらは131系でした。

本山駅跡を通過し、弁天橋で205系がもう1本居ることを見ながら大川へ。

そういやぁ、分岐は武蔵白石から安善に変わったんやった。

鄙びた大川駅に到着。

枯れた風景にピカピカの新車の組み合わせ。ちょっとシュールですな。

折返しの鶴見行きに乗車し、浅野駅で乗り換えます。

朝8時前、工場からクラシック音楽が流れてきてびっくり。

やってきた列車は、205系!

あっという間に海芝浦。折返しが3分しかないので、改札までダッシュ!

出場&入場処理をします。

直ぐに発車時刻になり、再び車中の人に。

左手に平面クロスが見えました。

浅野駅に戻って来ました。

扇町に向かうため、浜川崎行きの列車を待ちました。

 


2024年新春乗り鉄は明知鉄道へ

2024-01-14 20:20:27 | 鐵道部

2024年は元旦から大変なことに。

2日の朝方ではまだ情報も少なかった。

青春18切符も余るので、鐵印を頂きに明知鉄道に乗ってみることにした。

恵那駅で1日券を購入。この1日券はなんとD形硬券でいい感じでした。

岩村駅や明智駅でも鐵印がいただけたのですが、確認せずに恵那駅で鐵印を頂いてしまった。

寒空の下、10人ほど乗せて出発。

20〜30‰の連続勾配と、R200〜300の急曲線が続く軌道をノンビリ辿って12時前に終点に到着。

駅前の商店はすべて正月休業中。なので、折返し乗車して岩村へ向かいます。

空はいつの間にか晴れてきました。

岩村駅で急行と交換。

この駅は平成の時代まで腕木式信号機が残ってました。なので・・・

こんな体験ができるようです。

ちょうどお昼時、「正月三箇日に開いている食事処はないだろうなぁ。」と駅から街に向かおうとしたら、

駅前の食堂、なんと暖簾が掛かっています。ラッキー!

お昼は味噌かつ定食にしました。

お腹を満たしたら、いざ、街へ。

昔ながらの町並みが残っています。

数件のカフェや菓子処が営業していました。

正月休み観光協会とは違い、街の方は観光地としての自覚があるようです。

風呂の琺瑯看板は初めて見ました。

岩村城址まで行くのは止め、菓子処でカステラを買ってから駅まで戻ります。

明智から岩村まで乗った車両が恵那で折り返して来ました。

車両以外は国鉄時代のまま、といった風景です。

程よく暖房が効いた車内から、のどかな風景を眺めて帰途につきました。

昭和初期の恐慌時に鉄路を敷いたためか、急曲線と急勾配だらけでした。

明知鉄道になってから、設備の更新が最低限だったのか、開業当時の雰囲気が各所に残っている気がします。

無機質なJR線よりも旅情を感じる、ちょっとした乗り鉄旅でした。