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file.173 Mickey MANTLE【ミッキー・マントル】

2007-03-11 | MNO
【The Mick】
Mickey MANTLE

ルース、ゲーリック、ディマジオ...と並ぶ
ヤンキースの大スター選手である。
通算536本塁打、1509打点を叩き出し、
史上最高のスイッチ・ヒッターとも呼ばれる。

オクラホマのド田舎生まれのマントル。
メジャーデビューは、51年、19歳の時である。
96試合に出場し、13本塁打を放ち、大器の片鱗を見せつける。
が、この年のワールド・シリーズがマントルの運命を変えてしまう。
世界一を争う相手チーム、ジャイアンツのルーキー、
ウィリー・メイズの打球を追っていた時に、
グラウンドの排水溝の蓋部分につまづいて、膝を故障してしまう。
この故障は、マントルの選手生活に常につきまとうのである。

ともあれ、19歳で華々しくデビューを飾ったマントルは
翌52年には打率.311、23本塁打を放ち、
ディマジオの後継者として、一躍ニューヨークのスターの座を獲得した。

54年には27本塁打、102打点、
55年は34本塁打で初の本塁打王に輝き、
56年は、打率.353、52本塁打、130打点で三冠王、
シーズンMVPも獲得する。

マントルの真骨頂は、何と言っても飛距離の出る大本塁打であろう。
53年に放った場外ホーマーは、実に171.8メートルを記録したという。

18年のキャリアで10度の3割、9度の30本塁打以上、9度の90打点以上をマーク。
加えて、3度のシーズンMVPに輝いている。
黄金時代のヤンキースを支えた、華やかなスーパースターであったが、
その選手生活は、骨髄炎や、骨折、腰部の腫瘍や軟骨組織の断裂、病魔....など、
度重なる故障との戦いの日々でもあった。

61年は、マントルとM・M砲を形成していたロジャー・マリスが61本塁打を放ち、
『ベーブ・ルース』の年間60本塁打の記録を更新した年であったが、
実はマントルも絶好調で、打率.317、54本塁打、128打点をマークしている。
病気でシーズン終盤に離脱を余儀無くされたが、
それがなければ、あるいはマントルが、61本以上の本塁打を放っていたかもしれない。

マントルは、ワールドシリーズでの猛打でも、その名を馳せている。
12度にわたるシリーズ出場で、チームを7度の世界一に導き、
通算で18本塁打、40打点を叩き出し、いずれも未だメジャー記録である。

また、一族の男が皆早死をしているのを気にして
自分も必ず若くして死ぬ...と決めてかかり、体のケアもろくにせず、
親友のホワイティ・フォードと夜の街で不摂生の限りをつくした。
結局64歳まで生きたマントルは、晩年、若い頃の放蕩三昧を相当悔やんでいたという。

先輩のディマジオが気難しく、同僚とも一線を引いていたのに対し、
マントルは、天真爛漫、社交的、ジョーク好きで、誰からも愛された。
そして、どんな人間に対しても分け隔てなく接した。
ある日、試合終了後にチーム全体で食事をしようと
街のレストランにバスで乗り付けた際、
そのレストランが『黒人入店お断り』だったために
チーム唯一の黒人選手であるエルストン・ハワードは
バスの中で待機させられるハメになった。
すると、マントルがレストランから二人分のサンドウィッチを抱えて
バスに戻って来た.........「君と一緒に食いたかったんだ、エリー。」

選手生活晩年は、重ねた故障の影響で、
まともに走る事すらままならず、守備位置はセンターから一塁へ。
1968年、現役を引退。
74年に殿堂入りを果たし、95年、ガンのため他界。
背番号7は言うまでもなくヤンキースの永久欠番である。

余談だが、マントルが引退後に始めた事業のひとつに
フライドチキンのチェーン店があるのだが、
マントル自身が考え出した、宣伝コピーが傑作である。

『もっと、うまいチキンを食べたかったら、雄鶏になるしかないよ!』




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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (君の靴)
2007-03-11 19:52:19
ローズ、マントルと大御所が続きましたね!
おそらく数多いであろうエピソードを、わかり易く並べて解説してくださるので簡単に頭に入ります。

カードも・・・イイですね~(^^
返信する
Unknown (yoshikazu)
2007-03-11 22:58:27
マントルが膝の故障無くプレーできていたら
おそらく40-40は何度も達成していたであろう・・
と何かの本で読んだことあります。
しかし夜遊びを繰り返したり、皆から好かれる性格
ゆえに語り継がれるスパースターなんでしょうね。

返信する
トラウマ (dwsgs259)
2007-03-13 01:47:08
に、なりそうな良いカードをお持ちで(笑)

私は幼少時代、
「愛と正義のヒーロー」になりたい
と、思っておりました。

しかし年齢をいくら重ねても
悪人や怪人は現れず
時限爆弾が仕掛けられた場面に遭遇することも
ありませんでした。

では、現実社会において
「愛と正義のヒーロー」とは
どのようなものなのでしょうか。

そう考えたとき、
E・ハワードに接する彼の態度は
まさに「愛と正義のヒーロー」。

その当時の世相を考えても
並みの人間では起こしえない行動。
E・ハワードの目にマントルはどう写ったのか。

たぶん、涙で滲んでよく見えなかったでしょうね・・

彼のような人物が、野球でも大成したお陰で、
このようないい話が後世に残ったんですね。

本当に素晴らしい一譚でした。
私もこうありたい。感謝。
返信する
マントル (管理人)
2007-03-14 05:16:37
>>君の靴さん
どうもありがとうございます。
大御所が続いたので3/14分は、
渋めの選手をチョイスしました。

>>yoshikazuさん
マントルのスピードは相当のものだったらしいですね。
悔やまれる故障難なのですが、
怪我と戦いながらチームを牽引する悲愴感も
マントルの魅力だったりしますね。

>>dwsgs259さん
いつもありがとうございます。
エルストン・ハワードとのエピソードは
初めて耳にした時、かなーり感動しましたね~。
THE MAN in NY.......ですね。
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