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file .229 Ted WILLIAMS 02【テッド・ウィリアムス02】

2007-11-18 | ted williams
【The Splendid Splinter】
Ted WILLIAMS

メジャー史上、屈指の打者テッド・ウィリアムス。
そのデビューは1939年。
若干20歳のウィリアムスは打率.327、31本塁打、145打点という
驚異的な成績を残し、
華々しくルーキーイヤーを飾った。

翌40年も打率.344、43本塁打と活躍したウィリアムスは、
41年、打率.406、37本塁打、120打点と、
打率四割を記録。
さらに打率、本塁打の二冠王に輝き、
その天才ぶりをまざまざと見せつけた。

さらに42年は、打率.356、36本塁打、137打点で今度は三冠王を達成。
まさに唯我独尊の活躍で、23歳にして、
球界の頂点に達する存在となった。

その圧倒的な存在感は、当然相手チームの脅威となり、
インディアンズのルー・ブードロー青年監督なぞは、
野手を極端に右に寄せる、対ウィリアムス用シフトを決行。
プルヒッターのウィリアムスの打球を
全て凡打に変えようという作戦であったが
ほとんど効き目は無かったと言われている。

43~45年は兵役で全くプレー出来なかったウィリアムスだが、
46年に復帰すると打率.342、38本塁打、123打点と、
ブランクを感じさせない打撃を披露し、シーズンMVPを獲得。
47年には、打率.343、32本塁打、114打点で
自身二度目の三冠王に輝いている。

その後も圧倒的なスラッガーぶりで
チームの主力をはったウィリアムス、
30台を迎えた49年に、打率.343、43本塁打、159打点をたたき出し、
本塁打、打点の二冠を獲得し二度目のシーズンMVPに輝くなど、
その勢いは止まる事を知らなかった。

52~53年、ウィリアムスは、再び戦争にかり出される事となる。
これで都合5年間のキャリアを兵役で失う事になったわけだが、
この空白の5年間が無ければ、ウィリアムスはどこまで
その数字を伸ばしただろうか.........。

53年、シーズン途中に球界に舞い戻ったウィリアムス。
翌54年、打率.345、29本塁打と、
やはりブランクを感じさせない打撃を見せ、ファンを安堵させた。
57年、打率.388。
58年、打率.328...と二年連続で首位打者に輝き、
相変わらずの打撃の神様ぶりを披露したウィリアムス。
40歳になった59年は打率.254、10本塁打、43打点、
さしもの神様にも黄昏時が近付いている事を感じさせたが、
60年、打率.316、29本塁打、72打点と意地を見せ、
この年限りで有終の現役引退と相成った。

引退後は趣味の釣りに興じたり、
のんびりと過ごしていたが、69年、セナターズの監督に就任。
72年、チームがテキサス・レンジャースに変わるまで
4年間、指揮を司ったが、最高位が、69年の4位....と
こちらでは現役時ほどの華々しい結果を出せずに終わった。

1966年、野球殿堂入りを果たし、
2002年、この世を去った。

死後、遺体の冷凍保存を望む長男と、火葬を望む長女の間で
骨肉の争いがおこなわれ、裁判の判決に従って、
頭部だけを冷凍保存し、
胴体から下を火葬する...という
ウィリアムスにとっては、
安らかに眠れないような状況が続いている。

通算2654安打、521本塁打、1839打点、打率.344、
2019四球、出塁率.482。

不世出の大打者であった。