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file .223 Darryl STRAWBERRY【ダリル・ストロベリー】

2007-11-11 | STU
【セックス、ドラッグ&ベースボール】
Darryl STRAWBERRY

高校時代から、エリック・デイヴィスらと共に、
その名がとどろいていたストロベリーは、
1980年、メッツから1位指名を受け、プロ入りを果たす。

83年、21歳でメジャーデビュー。
打率.257、26本塁打、74打点をマークし、
堂々、新人王を獲得、大器の片鱗をおおいに見せつける。

足を高くあげた構えから、
しなやかなスイングでボールをスタンドに叩き込むーーー
この、線の細いニュー・ヒーローは同時期にデビューした投手のドワイト・グッデンと共に
メッツの明るい未来を感じさせるニュー・ヒーローであった。

その後も、看板通りの活躍を続け、
86年には、27本塁打、93打点、28盗塁の活躍を見せ、
チームのリーグ優勝及び、WS制覇に大きく貢献。
84年~91年まで8年連続でオールスターに出場し、
名実共に、球界のスーパースターの一員となった。

87年、打率.284、39本塁打、104打点、36盗塁、
大きく打撃成績を飛躍させ、30/30も達成。
88年は打率.269、39本塁打、101打点で本塁打王を獲得し、
91年にはFA権を取得し、生まれ故郷のLAはドジャースに移籍。
5年で約2000万ドルの契約を結ぶなど、
順風満帆なキャリアを送っていたストロベリー。

......が、その実、見えないところでは、私生活でのトラブルが絶えず、
その体は麻薬・アルコールに蝕まれていた。

ドジャース1年目の91年こそ、27本塁打、99打点をたたき出すが、
翌92年からは、故障もあってか、全く別人のような平均以下の選手に成り下がり、
まともに出場すらままならない状況。
93年にドジャースを解雇され、
94年はジャイアンツでプレーするも、やはり、まったく奮わず
終いには、コカイン使用が発覚し出場停止及び、
解雇の憂き目に遭ってしまう。

95年、独立リーグでプレーしているところをヤンキースに拾われ、
96年には63試合の出場で11本塁打、チームのリーグ優勝に貢献すると
ポストシーズンでも大活躍、キャリアで2個目のチャンピオン・リングを
指にはめる事が出来た。

98年には24本塁打するも大腸ガンが見つかり、手術。
99年、コカインの使用により出場停止をくらい、
そのまま現役を引退した。

妻や、恋人への暴行、大好物のコカイン摂取、交通違反、大規模な脱税..........。
刑務所やリハビリセンターを第二の家とし、度重なる脱走。
あらゆるトラブルを巻き起こしたストロベリーだが、
実は、チャンピオンリングを3個も所有している。

また、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を7度も飾るなど、
絶頂期の人気はやはり絶大だったが、
引退後は、アニメのシンプソンズファミリーに出演(?)したり、
ネバーランドで行われたマイケル・ジャクソン主催のパーティーに参加したり、
違った意味での人気ぶりを発揮した。

20世紀を迎えたここ数年も、
トラブルメーカーぶりを発揮しているが、
キリが無いので省略。

通算1401安打、335本塁打、1000打点、221盗塁。
意外に選球眼が良く、通算打率.259に対して、出塁率は.357と悪く無い。

人生の選球眼は.....悪い。