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file .226 Nolan RYAN 01【ノーラン・ライアン01】

2007-11-16 | nolan ryan
【デビュー/メッツ時代】
Nolan RYAN

生粋のテキサスっ子、ライアン。
家計を助けるべく、13~14歳の頃には、
車を駆り、新聞配達のアルバイトに勤しみ、
一方で、牛を育てて売り、高校生の時分には、学校で野球をプレーする傍らで、
既に自分の牧場まで存在していた。

18歳になったライアンは、メッツから指名を受け入団。
10巡目での指名であった。

マイナーで着実に実績を積み、66年、AAAを経ずにメジャーデビュー。
が、時期尚早だったか、2試合に登板し防御率15.00という散々な成績に終わった。

67年はメジャーで投げる事は無く、
さらに肩の故障でまともに登板する事も出来ない........。
兵役とリハビリに明け暮れる一年となってしまったが、
シーズンオフ、ライアンはリハビリも兼ねてウィンターリーグに参加、
徐々に自身の投球を取り戻していく......。

68年、本格的にメジャーデビューを果たし、21試合で、6勝9敗、防御率3.09。
134イニングで133三振を奪うなど、大きくステップアップしたが、
手のマメが完治しないのと、兵役の所為で、
ローテーションに食い込む事は出来ず、
年齢も近く、仲の良かったトム・シーバーに大きく遅れを取る事となった。

ミラクル・メッツ......。
1969年、弱小球団メッツは奇跡の逆転優勝を成し遂げ、
ワールド・シリーズでも強豪・オリオールズを破り、
ニューヨーク及び、メジャーリーグを大いに盛り上げた。
シーバー、ジェリー・クースマン、タグ・マグローら、
強力な投手陣の中、ライアンも25試合に登板、6勝3敗、防御率3.54と
まずまずの投球を見せ、優勝に貢献するが、監督の信頼を完全に得るには至らず、
先発登板は、10試合にとどまった。

が、ブレーブスとのプレーオフ、第3戦。
先発のゲーリー・ジェントリーが3回途中でKOされると
ブルペンにいたライアンに声がかかる。
ライアンは期待に応え、7回を2失点。
打線の援護もあり、見事、勝利投手となり、優勝の美酒に酔いしれた。

オリオールズとのワールド・シリーズでは、
第3戦、またもジェントリーの後を受け、リリーフ登板。
中堅手トミー・エイジーの好守にも助けられ、
2回1/3を1安打に抑える好投を披露、1セーブを記録した。
シリーズでの登板はこの1試合のみであったが、
プロ入り3年目にしてチャンピオン・リングを手中におさめた。

その後、70~71年と
ライアンはメッツで投げ続け、そこそこの成績をおさめるものの、
才能の開花には至らず、71年オフにカリフォルニア・エンゼルスへトレードの運びとなった。

テキサスの田舎者…ライアンは、NYでの生活になじむ事が出来なかった。
69年の世界一の時も、オフのセレモニーなどにはほとんど参加せず、
逃げるように、故郷のヒューストンはアルヴィンに帰郷している。
何処へ行っても、注目され人の多い都会の生活にペースを乱され、
ピッチングに集中する事が出来なかった。
ライアンのエンゼルスへのトレードは、
『球団史上最悪のトレード』と言われているが、
これは、実はライアン自身が首脳陣に直訴したものであった。

未だその大輪を咲かす事の出来ないライアン。
そんなライアンを、暖かいカリフォルニア......そして未知のアメリカン・リーグが待ち受けていた。