【Wizard of Oz】
Ozzie SMITH
メジャー史上、最高の守備を誇る遊撃手。
80年~92年まで13年間、当然のごとくゴールドグラブ賞に輝き、
88年には、メジャー最高年棒にまで登り詰めた。
通算2460安打、580盗塁が示すように、
『攻撃面』でも、非凡な数字を残している。
スミスは、1977年にパドレスに入団。
78年には、159試合に出場、
遊撃のレギュラーの座を獲得する。
パドレスには、78年~81年の4年間在籍、
平均打率.230、通算本塁打は1本と、打撃面では非力さを露呈したが、
78年に40盗塁、80年に57盗塁を決めるなど、
スピードのあるところを見せつけた。
遊撃守備では、80年に史上最多となる621捕殺をマークし、
初のゴールドグラブを獲得。
その類い稀なる守備力をおおいにアピールする。
82年、ホワイティ・ハーゾク監督に請われ、
ギャリー・テンプルトンと交換で、カージナルスへ移籍。
ハーゾグの推進する機動力野球及び、内野守備の強化に、
スミスはうってつけのピースだった。
パドレス時代、チームからの低評価に不満を持っていたスミスは、
ハーゾグという理解者を得、新天地でいきいきと活躍。
この年、打率こそ.248に終わったが、
内野の要として、守備でチームに大きく貢献、
カージナルスの世界一に大きな役割を果たした。
どんな難しい打球でも、その軽い身のこなしで難無く処理してしまい、
軽業師のようなアクロバッティングな動きで、ファンを魅了。
ズバ抜けて広い守備範囲、華麗さと堅実さを併せ持つスミスの守備は、
対戦チームの選手ですら、思わず見とれてしまう芸術品だった。
打撃面でも努力を重ね、徐々にではあるが、
ズミスは安定した打撃を見せるようになり、
85年には打率.276、31盗塁をマーク。
リーグチャンピオンシップでは、第5戦で決勝のサヨナラアーチを放つなど
パワーに欠けたスミスにしてみれば、まさかの大活躍。
結局打率.435をマーク、シリーズMVPに輝く。
87年には打率.303、40二塁打、78打点、43盗塁と、好成績を残し、
リーグ優勝に貢献、MVP投票でも2位にランクイン。
82年~93年まで、12年連続で20盗塁以上をマークするなど、
守備力だけでなく、スピードもトップクラス。
優秀なリード・オフマンとしてチームを支えた。
94年頃から、身体能力の衰えや、故障の影響もあって
出場機会を減らしていたスミス、
ジャイアンツからやって来たロイス・クレイトンの台頭もあり、
96年、41才で現役を引退した。
シーズンの開幕戦及び最終戦などでは
1回の守備に付く際、トレードマークのバック転を披露するなど
サービス精神も旺盛なスミス。
引退後は、そのさわやかさも手伝って、野球関連のテレビ、ビデオ作品などの
司会などもこなし、芸達者ぶりを見せつけた。
が、その爽やかとは裏腹に、自分から遊撃のポジションを奪った
ロイス・クレイトンや、当時の監督であるトニー・ラルーサを長年にわたって
恨み続ける....といった意外な一面もあったるする。
2002年、堂々の殿堂入りを果たし、満面の笑顔を見せた。
Ozzie SMITH
メジャー史上、最高の守備を誇る遊撃手。
80年~92年まで13年間、当然のごとくゴールドグラブ賞に輝き、
88年には、メジャー最高年棒にまで登り詰めた。
通算2460安打、580盗塁が示すように、
『攻撃面』でも、非凡な数字を残している。
スミスは、1977年にパドレスに入団。
78年には、159試合に出場、
遊撃のレギュラーの座を獲得する。
パドレスには、78年~81年の4年間在籍、
平均打率.230、通算本塁打は1本と、打撃面では非力さを露呈したが、
78年に40盗塁、80年に57盗塁を決めるなど、
スピードのあるところを見せつけた。
遊撃守備では、80年に史上最多となる621捕殺をマークし、
初のゴールドグラブを獲得。
その類い稀なる守備力をおおいにアピールする。
82年、ホワイティ・ハーゾク監督に請われ、
ギャリー・テンプルトンと交換で、カージナルスへ移籍。
ハーゾグの推進する機動力野球及び、内野守備の強化に、
スミスはうってつけのピースだった。
パドレス時代、チームからの低評価に不満を持っていたスミスは、
ハーゾグという理解者を得、新天地でいきいきと活躍。
この年、打率こそ.248に終わったが、
内野の要として、守備でチームに大きく貢献、
カージナルスの世界一に大きな役割を果たした。
どんな難しい打球でも、その軽い身のこなしで難無く処理してしまい、
軽業師のようなアクロバッティングな動きで、ファンを魅了。
ズバ抜けて広い守備範囲、華麗さと堅実さを併せ持つスミスの守備は、
対戦チームの選手ですら、思わず見とれてしまう芸術品だった。
打撃面でも努力を重ね、徐々にではあるが、
ズミスは安定した打撃を見せるようになり、
85年には打率.276、31盗塁をマーク。
リーグチャンピオンシップでは、第5戦で決勝のサヨナラアーチを放つなど
パワーに欠けたスミスにしてみれば、まさかの大活躍。
結局打率.435をマーク、シリーズMVPに輝く。
87年には打率.303、40二塁打、78打点、43盗塁と、好成績を残し、
リーグ優勝に貢献、MVP投票でも2位にランクイン。
82年~93年まで、12年連続で20盗塁以上をマークするなど、
守備力だけでなく、スピードもトップクラス。
優秀なリード・オフマンとしてチームを支えた。
94年頃から、身体能力の衰えや、故障の影響もあって
出場機会を減らしていたスミス、
ジャイアンツからやって来たロイス・クレイトンの台頭もあり、
96年、41才で現役を引退した。
シーズンの開幕戦及び最終戦などでは
1回の守備に付く際、トレードマークのバック転を披露するなど
サービス精神も旺盛なスミス。
引退後は、そのさわやかさも手伝って、野球関連のテレビ、ビデオ作品などの
司会などもこなし、芸達者ぶりを見せつけた。
が、その爽やかとは裏腹に、自分から遊撃のポジションを奪った
ロイス・クレイトンや、当時の監督であるトニー・ラルーサを長年にわたって
恨み続ける....といった意外な一面もあったるする。
2002年、堂々の殿堂入りを果たし、満面の笑顔を見せた。