GUMBO

.

file.064 Luis APARICIO Jr 【ルイス・アパリシオ】

2006-02-20 | ABC
【ベネズエラの英雄】
Luis APARICIO

ベネズエラは長年に渡り、
メジャー・リーグの名遊撃手を産出してきた。
チコ・カラスケルに始まり、ルイス・アパリシオ、
デーブ・コンセプシオン、オジー・ギーエン
オマー・ビスケル......。

ルイス・アパリシオの父、ルイス・アパイシオ・シニアも、
これら、ベネズエラ出身の名遊撃手に名を連ねても
おかしくない名選手であった。
事実、1936年にはセネターズから獲得の声がかかった程であった。
しかし人種差別がまだ色濃い時代にあってシニアのメジャー入りは
叶わぬ夢と消えた。

「俺はメジャー・リーグに入れなかったわけじゃない、
飛行機に乗るのが嫌だっただけだよ。」
シニアは悔し紛れに、息子にこう聞かせたという。

野球に没頭する息子、アパリシオを母親は
よく思っていなかった。
親子二代でメジャーへの夢に破れるのを見たくはなかったのだろう。
アパリシオのユニホームを燃やしてしまった事もあるという。

が、ルイス・アパリシオ・ジュニアはメジャー・リーグの
歴史に残る名遊撃手となった。

56年にチコ・カラスケルを押し退けて
ショートのレギュラーを奪取すると
その卓越した守備力でチームを牽引。
攻撃面でも、『ゴー・ゴー・ソックス』と呼ばれた
シソックスの機動力野球を支えるリード・オフマンとして活躍、
2番を打つネリー・フォックスと
『無敵のヒット・エンドラン・デュオ』を形成した。

56年に21盗塁で盗塁王に輝くと、
64年まで9年連続で盗塁王を独占。
ゴールド・グラブも計9度受賞するなど
選手として一時代を築いた。

チームがワールドシリーズ進出を果たした
59年には、打率.257、6本塁打、51打点ながら
リーグトップの56盗塁と、守備力が評価を得て
MVP投票では2位にランキングされる。

オリオールズに在籍していた66年は、
打率.276、6本塁打、41打点、25盗塁をマーク、
チームの世界一に大きな貢献を果たした。

84年にベネズエラ人としては、初の野球殿堂入りを果たすが、
その知らせが伝えられた時、
ウィンターリーグの試合中のベネズエラの球場では
試合が一時中断し、観客・選手らが一緒になって
ベネズエラ国歌を斉唱したという。

親子二代の夢が叶った瞬間であった。

05年のワールド・シリーズ、
一試合目の始球式の栄誉にあずかったのは
他でもない、ルイス・アパリシオ・ジュニアであった。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=aparicio