藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

「すもも」も・・・(2)

2021-06-17 15:05:36 | 日記・エッセイ・コラム

 幼少期、一年間両親を離れて岡山で生活していた時がある。 末っ子が生まれて、手が足りなくて、叔母の家に預けられたのだ。 叔母のご主人は、日本航空史に名が残る名パイロットだったそうだ。 霞ヶ浦で陸軍の航空兵を指導していたが、満州航空が作られると、その会社のパイロットの養成指導者として満州に渡ったそうだ。 …この話は書くと永くなるので、中略、この方は、「ハルピン」の空港長兼、パイロット兼、指導教官だったそうで、そのつながりで、私の親父が満州航空に入れたそうである。 そんな関係で私を養子に欲しかったそうだが、親父が猛反対して・・・。 そんなこんなで、私の姉は満州育ちだった。 六年間の満州生活で、一番感動したのは、春ハルピンの松花江岸に一面に咲く「杏子」の花だったそうだ。 日本の花見は桜だが、満州では「杏子」だったそうだ。 「杏子」も「すもも」の仲間だそうだ。 私は姉の影響で、子供の頃「すもも」を「あんず」と呼んでいたが、他の友達は、「はらんきょう」と呼んでいた。 その差がどうもわからない。 原産国は中国の揚子江の上流部だそうで、西に渡って、プラムに成り、東の果ての日本には「米」と一緒に渡って来て「李」(すもも)に成ったそうだ。 弥生時代から日本に根付いて、品種改良されたらしい。それも最近の事らしい。 これを調べるのは大変な作業を覚悟しないといけない様だ。 鹿児島から北海道まで好きな方は品種改良に取り組んでおられるらしい。 そうそう、アメリカに渡った日本原産の「すもも」が、西回りでアメリカに到達した品種と掛け合わされたらしい。 そいつは一体どこで手に入るのか・・・・。 今夜から眠れそうにない。 それに加えて、昨夜10個の「すもも」に挑戦したが、

     

昨夜は5個が限界だった。 「ざんねん・・・・」

     

コメント (2)
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