藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   広島県の変な研修会顛末記

2013-05-31 22:31:34 | 社会・経済

014 遡ること四年前、私の地元広島の新聞「中国新聞」に、ある教員に対する「戒告処分」に対する批評が掲載された。 

その事件とは、2009年8月6日 「広島原爆の日」に、「年休権の行使」を申し出た教員に対し、「十年経験者研修」に参加する旨の「職務命令」を広島県教育委員会が発令した事件である。

この「職務命令」を受けた人は、「倉澤憲司」という学校の先生である。 彼は自分の意思を貫き「年休権」を行使した。 それに対し、広島県教育委員会は「戒告処分」をしたのである。

当時私はこの記事を読み、敢えて8月6日に教職員の研修を行う意義が、どこに存在するのだろうかと疑問に思った。 新聞も敢えて「8月6日」に研修を行う、広島県の感覚を「批判的」な記事で報じた。 その結果「8月6日」には、職員研修は行われなくなったと聞いた。 

その後、この事件はどのような展開をしたのか、私は知らなかったが先日、妻の友人からの手紙で、倉沢氏が「戒告処分」の「取り消し」の申し立てをし、今日「広島県人事委員会」で、「最終弁論」が開かれると知り、「傍聴」に出かけてみた。 

最終陳述を聞きながら、世の中不思議なことが多すぎると思い始めた。

「広島県知事」や「広島県議会議長」は、「公務」として「8月6日 広島平和式典」に参加する。 方や「一学校の先生」は、貴重な年休を使い「広島平和式典」に参加した。 結果「戒告処分」を受けた。 何処か狂っている。 

昭和20年8月6日、 広島市内では、学徒動員で駆り出された生徒達と、それを引率した先生達の命が、一瞬にして奪われた日なのである。 当時の「教員」は全て「広島県」の職員であったのだ。 又、860人を上回る「広島県」の「事務職員」が、当時中島町にあった県庁で「被曝死」したのを忘れたのであろうか。

今日の「傍聴」でこの事件は、単純な動機で「広島県」の執行部が、組合活動封じに「職員研修」を利用した事件だと確信するに至った。

これとよく似ているのが、橋下大阪市長の「職員」の「刺青」調査である。

日本の「刺青」文化を、橋下市長は一度でも勉強してみたことがあるのだろうか。 アメリカでは、プロスポーツの選手など、多くの有名人が「刺青」をしている。 誰もそのことを咎めたりしない。 

特定の人間が、行政と言う「公権力」を持った時、その長は「その組織全て」を意のままにしたくなる。 その結果、市民の生命や財産で償わされるのだ。 「クワバラ、クワバラ」

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深山 霞の「霞的心」   広島も「梅雨入り」

2013-05-28 15:59:30 | 社会・経済

003 梅雨入りを待っていたように色付き始めた。 この紫陽花は、妻の実家の物を挿し木して増やしたものである。

奥様の思い入れは深いものがあろうと思うのだが、そうでもないらしい。

毎年秋になると、せっかく伸びた茎を切ってしまうので花が付かない。 変に綺麗づきなところが草花には気の毒なところがある。 昨秋は、私がこの紫陽花には妻のハサミを触れさせなかった。 今年で幾年になるか始めての花である。

小雨の中の紫陽花には何処か「憂い」があり、私の最も好きな花の一つである。 この時期同じように咲く、「どくだみ草」の白い小さな花も私好みである。

しかしこの時期は、低気圧が断続的に近づくため私の体は、悲鳴を上げる。 肺の周りの痛みと頭痛。 肺機能低下は確実に進んだようである。 明日は定期検診の日であるが気が進まない。 この体調での車の運転は嫌な感じがする。

ところで、橋下大阪市長は「ポツダム宣言」をお読みになったことがあるのだろうか。たった十三ヶ条の文面だが、あまり読んだ人を知らない。 入学試験にも出てこない。 もちろん文面は「国定教科書」には載っていない。 私が読んだのは、昭和四十一年夏、衆議院議員「藤山愛一郎」の「藤山政治大学講座」を受けたときである。 

戦後の日本が、この十三ヶ条の文面から始まり、その受け入れが半月早ければ「広島」「長崎」の悲劇が起こらなかった事実を知ったのだった。

何処か「脱原発」に似ている。 今一度「原発事故」が起きないと、政治家は真剣に「脱原発」を考えないような気がし始めた。 

国民の大きな犠牲があって初めて政治が動き出す。 大量の「プルトニューム」を溜め込んで一体何に使う気なのであろうか。

一方、公共工事の削減が、建設技術の低下を招いたそうである。 若手の建築技術者が枯渇しているそうだ。 大手の建設会社でさえも、技術者を現場間で奪い合う状況になり、長期の工期の工事の受注はしない事にしたそうである。 

安倍総理、国際社会に乗り出す前に、国内の技術者の育成が先ではないのですか。 日本国の空洞化は、「アベノミクス」の大きな後遺症に成り得るのではありませんか。

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深山 霞の「霞的心」   「らしいは、贋物」

2013-05-27 23:01:17 | 社会・経済

009 我が家のバラに取り付いた「おとしぶみ」は、四十八時間で合計七つの「おとしぶみ」をお作りになった。 中が見てみたいと思ったが、WEBで検索してみると、止めておいた方が良い様なので、今後どの様に変化するのか観察する事にした。 この中の「おとしぶみ」の卵は孵化し、内側の巻き上げられた葉を食料にして成長するそうである。

興味本位に穴を空けて中を覗くと、自らの糞で栓をするそうである。 それは木の葉の乾燥を防ぐためであるそうだ。 それにしても、この虫は只者ではない。 子孫を残すために此れだけの大仕事をやってのけた。 恐れ入った。 

大阪市長に、彼女の努力の幾分の一かがあれば、一組の母子が助かったであろう。

国家試験の中で、「医師免許」、「司法試験」、「建築士免許」を三大試験と呼んでいた時期が有った。 その「司法試験」合格者が、欠陥人間とは誰も気付かない。 米軍に「風俗」の利用を口走っただけでも、「弁護士」失格である。 「風俗」とは、明らかに「性風俗」の事であり、法律で禁じられた物である事さえお忘れのようである。 

大阪人は余程「我慢強い」市民なのであろう。 広島ならば今頃リコール運動が起こっている。 少なくとも私は始めるだろう。

橋下大阪市長は、「弁護士らしい」のであって、「市民の見方の弁護士」ではない。 らしいと、本物とは違う。 眉に唾つけてその弁解を聞くべし。

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深山 霞の「霞的心」  「おとしぶみ」

2013-05-26 07:34:42 | 社会・経済

003 昨日十時半にはこの枝葉、「虫食い跡」のない若葉であったが、午後三時半、変な物がぶら下がっている。 「何々」よく見ると「おとしぶみ」である。 バラの木に「おとしぶみ」・・・。 少し文学的なセンスを持った虫が居るものだと感心した。 「バラの木に、バラの花咲く何事の、不思議なけれど」 不条理の哲学の一節を思い出した。 

一夜明けて、今朝四時。 一晩で「おとしぶみ」が、五つになっていた。 「犯人は誰だ」 せっかく若葉を楽しんでいたのに。

008 此処まで食い散らかされると、犯人探しである。 このままでは若葉が全て「おとしぶみ」に、されてしまいそうである。 一夜で四つの「文」を書くなど「何処の文学少女」かと、バラの木の端から端まで、虱潰しに調べてみた。 

007「いた」 小さな葉の裏に、ひっそりと潜んでいた。 全長約五ミリ、頭は小さい。 よくもこの体で一晩中働いた物である。 この黒い小さな虫は、一晩中働いていたらしい。

以前「おとしぶみ」について調べた事があった。 世界では約千種、其の内日本には二十三種が生存しているらしい。 妙に数字だけが記憶に残っている。

それにしてもこの虫は働き者である。とその様なことを考えながら写真を撮っていたら、「朝刊」が配達されてきた。 

約一年、新聞を休んでいた。 現状では読めないからで、小さな活字の新聞を読むと頭痛になる。 奥様が、新聞に投稿したのがきっかけで、お付き合いで又新聞を購入しなければならなくなった。 新聞販売店の社長は私の親友で、事情を知っているから「其の内眼の状態がよくなったら」と約束していたが、奥様の記事が六月一日に載るらしいのに、新聞がなければ意味が無い。 此処が売り込み時と、セールスマンがやってきた。 奥様は仕方なしに、新聞の購入をお始めになった。

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深山 霞の「霞的心」  「暑いー・・・・」

2013-05-25 15:43:49 | 社会・経済

002 あまりの暑さに「津和ブキ」が頭を下げ葉を丸めている。

気温は、三十度を超えている。 夏日になった。 私の体も悲鳴を上げている。 クーラーをつけると、余計体に負担がかかるので此処は「我慢」。 扇風機を押入れから取り出し、先ずは清掃。

しかしこの暑さでは、昼寝も出来そうにない。 図書館にでも避難しようかと思ったが、皆考えは同じである。 おそらく、座って本を読むところなど無いであろうと、着替えを止めた。

私が結婚してこの町に住み着いた頃は、過ごしやすい町であったが、広島の町を太田川の洪水から守るために、「大芝水門」が作られ、又、呉市周辺町村に水を供給するために「高瀬堰」が作られたため、この二つの水門で、太田川を遡ってくる魚だけではなく、瀬戸内の風さえも止めてしまった。 必然的にこの町は、自然の風から見放され、加えて「朝凪、夕凪」に苦しめられている。

市町村が「インフラ整備」と称して、「水道」を張り巡らした為に、かえって水不足になっている。 特に島しょ部では人口が半減したのに水不足である。 呉市も人口の減少に歯止めが掛からない。 嘗ては井戸水で十分に賄えたものが、水道管を維持するために水を送り続けるために、太田川の水だけでは足りず、江の川の上流にまでダムを作り送っている。 何かが狂っている。 

原発は「止めていても金が莫大掛かる」から、「運転したほうが良い」といった理論に近い。 なんだか可笑しな社会を先人達は作ったようである。 

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