藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」   広島の気候は今日も変です。

2013-03-22 15:10:39 | 社会・経済

気象台の桜開花宣言が今日も見送られた。 東京ですら満開だというのに、瀬戸内海の温暖な広島の桜が咲かない。 どこか変である。 私の体も変調を来たしている。 呼吸が思う様に出来ていない様である。 暖かくなれば、少しは改善されるかと思ったが、「胸膜肥厚」も進捗すると厄介なようである。 

Photo 通院の途上で、懐かしい物に出くわした。

「マツダ」三輪トラックである。 昭和三十年代、広島の街を走り回っていた光景を思い出す。 いや昭和四十一年の「小百合様」の「愛と死の記録」の映画の中でも、「パブリカ」 「キャロル」 などと共に、原爆病院の前の道路を走る姿が映し出されていた。

幾年ぶりに見る姿だろうかと考えたが、思い出せないくらいの年月が経っている。

戦後、広島の復興のシンボル的三輪トラックだった。 三輪車は小回りがきくので、製材所などが多く使用していたように記憶しているが、・・・・・。

それにしても良くぞ残っていたものだ。 余程物好きな方が所有されているのであろう。 広島の交通博物館にでも、寄付願いたいものである。

因みに、日本で最初に営業用の「バス」が運行されたのは、横川駅と今私が住んでいる可部の街を走いたのが最初である。 この時、このバスは、国道54号線走ったが、数ヶ月後に太田川を挟んで別のバスが営業を始め、一年間の運賃値下げ競争の果てに、両方のバス会社共に倒産。 この顛末は「井伏鱒二」が小説で見事に描いている。 ぜひ一度ご披見下さい。 と、書いてはみたが、何という「表題」だったか、思い出せない。 オマケに、「井伏鱒二」全集が何処に仕舞われたのか不明である。 我が家のどこかに存在することだけは、「確か」であるが、奥様がお納め下さると私には見当が付かない。 ・・・・・いつものことである。  

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深山 霞の「霞的心」  前線に翻弄された24時間

2013-03-18 16:27:44 | 社会・経済

前線がやってきて、天候が急変したのは昨日の午後。 体調異常・・・。体が動かない。 呼吸が出来ない。 関節が痛い。  本日午前十時、頭痛がどこかに行った。 少し遅れて、体が動き始めた。 天候が少し遅れて回復した。 低気圧のやつめ・・・・。 肺の機能の低下は歴然とし始めてが、それでも労災の認定にならないのが、「石綿被害」なのである。 これが「肺結核」等で肺を三分の一摘出すると、障害者認定が受けれるが、「石綿被害者」には適応されない。 どこか変な制度である。 足の機能が三分の一無くなると障害者。 手の機能を三分の一無くすると、やはり障害者。

本来被害者救済の為の制度が「労災保険」であるが、「特別化学物質被害者」の救済はそのように適用されていない。 不思議な制度である。 

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深山 霞の「霞的心」  ハプニングな一日

2013-03-17 14:42:31 | 社会・経済

002 小春日和の中、久しぶりに一人で美術館に出かけてみた。 シニアーになると、入館料が割引されることなど知らなかった。 それ程ご無沙汰である。

出かけてきたのには理由があった。 童話画作家100人展が開催されているからである。 

久しぶりの一人街歩きも楽しもうと、早めに家を出て、古本屋巡りをした。 新刊本の本屋さんは、近所に郊外型大店舗があるのでそこで用事が済んでしまう。 

わが住む街には、古本屋がない。 そこで広島の中心街へ出ると「古本屋」。 これが私の近頃の、街の散策の目的である。 三軒の店を尋ねたが、目的の古本が無かった。 

昭和30年代から営業している喫茶店に思わず飛び込み、懐かしの「イタリアンスパゲティ」を「キリマンジャロ」のコーヒーと共に注文したら、途端に店の奥からTVカメラが出てきて、取材させてくれという。 「 ・・・・・?。」 地元のTV局が取材をしていたらしい。 気がつかなかった。 どうも広島の喫茶店のメニューの、「イタリアンスパゲティ」について取材していたようである。 そこに私が入るなり「イタリアンスパゲティ」を注文したので、TVカメラが飛んで来たようである。この喫茶店は、昭和40年代からの馴染みの店である。

007昼食の「ナポリタン」を食し、 今日はなにか起こりそうな日だと思いながら、美術館に向かった。

美術館の庭には、ツグミがのんびりと餌を探している。 同年代の親子連れの女性が私の前を横切っていった。 親子で美術館そんな休日も良いだろうなと思いながらベンチに腰をかけて、私はツグミを見ていた。

何かしら視線は感じてはいたが、田舎オヤジ丸出しの服装で出かけてきた私なので気にもとめず。 広島県下に、二枚の「ゴッホ」の作品がありその一枚が「ひろしま美術館」に常設されている。 ゴッホが入院していた精神病院の庭を描いたもので、私は大変に気に入っているのである。

印象派の作品が多く収蔵されているが、私はこのゴッホ絵一枚見るだけで十分である。

十分に堪能して、美術館の中の喫茶室で紅茶を注文し、一人庭の木を眺めていた。イタヤカエデの木だろうか?。・・・・

小えだに昨年の実が残り付いているのに気がついた。 紅葉や楓の実は羽を持っている。 風に飛ばされ遠く迄運ばれて種の保存を図るためだそうであるが、枝から離れる時期も少しずつずれて飛んでいくそうである。 それにしてももうすぐ春。 新しい葉が出始めりころには旅立つのだろうと見上げていた。

003_2 「ボー」と梢を見ていたら、声をかけられた。

「失礼ですが、藤森さんではありませんか?」 失礼も何もない、間違いなく本人である。 入館した時、私の前を通りすぎた同年代の親子が声をかけてきたのだ。

女性が45年経つと変わる。 名乗られれば面影があった。 娘さんの顔は若かりし頃の彼女の面影をそこに留めている。 「確か結婚して、大阪に行かれたと聞いた」がと話すと、先年連れ合いを「癌」で亡くし、娘の住む広島に戻ってきたそうである。 なぜ娘さんが広島?。 どうも色々事情があったらしく、娘さんが実家を継いだそうである。 

ところで、今一枚のゴッホの絵は、「ウッドワン美術館」にある。広島市内から、30km。約一時間の山の中に作られた美術館で、当初ゴッホの物とは分からずに所蔵されていたが、修復作業時にゴッホと判明し、加筆された部分を取り除き、展示されている。これは、「人物画」である。 広島にお越しの際は、是非ともご覧下さい。

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深山 霞の「霞的心」   「ミサゴ」は何故岩国に

2013-03-17 13:12:54 | 社会・経済

Photo 春霞の中に、岩国米軍基地の飛行場が霞んで見える。

春霞の瀬戸内海の中に米軍岩国基地が霞んで浮かんでいる。 オスプレーが訓練のために再び岩国にやってきて幾日が経つであろうか。

この写真を撮って車に乗り込むと同時に、オスプレーがお帰りになった。 急いでカメラを取り出したが、着陸は素早く写真に撮ることが出来なかった。 さすが猛禽類の名前を付けただけの事はある。 やっとなぜこの時期、岩国にオスプレーなのか、この瞬間理解できた。 岩国から韓国までは一飛びの所だ。 北朝鮮への圧力には十分である。 横須賀の第七艦隊は今どこに展開しているのであろうか。 全く情報が届いてこない。 総理の「足下」の山口県の沖合では、きな臭い煙が渦巻いているようである。 「アベノミクス」に踊らされている間に、国境では・・・・・・・・。

バブルの崩壊がありませんように。 年金生活者が苦しむ政治はゴメンです。 

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深山 霞の「霞的心」  思い出す子供の頃の日々

2013-03-14 15:49:10 | 社会・経済

Photo 上関の海 この港の風景は嘗て、「NHK」朝の連続ドラマ「鳩子の海」の舞台になった海である。 主人公「鳩子」は、原爆のショックで過去の記憶を失い、上関の親戚で成長していく過程を一年間にわたり放送された。

 世の中、皮肉なものである。 嘗て平和を求め、核廃絶を訴えた連続ドラマの地が、「原発誘致運動指導者」の町長を先頭に中国電力に「原発建設」を働きかけている。 わずか67年前この地にも、原爆犠牲者が幾体となく流れ着いた地なのである。 その多くが身元不明者で、この地のお寺で供養され、無縁仏として平和公園に祀られている。

 山口県知事は先の県議会での答弁の中で、「総理足下の県がエネルギー政策の協力を行うことは当たり前だ」と発言しその言葉、「足下」について県民から大きな批判が起こり始めて居る様である。 地方自治の時代と言われる中での県知事の発言に相当批判が起きたようである。 いくら保守大国「山口県」でもこれはいささかの感がある。 

 上関といえば子供の頃、父親に連れられ柳井の港から漁船に乗せられて、船釣りによく連れてこられた。 懐かしい場所である。 この瀬戸内海という閉塞された内海に「原発建設」など誰が考えたのか。

Photo_2 本土と長島を結ぶ上関大橋である。

 上関大橋の上から、北東を望めば「周防大島」の向こうには「米軍岩国基地」「航空自衛隊岩国駐屯地」。

 確かにこの地なら、北朝鮮からの破壊活動に対しては万全であろうと思われる。 この感覚は、私だけの物だろうかと思ってしまう。

嘗て「島根原発1号機」の建設に参加した私は、当時からこの原発はいつかソビエトや、北朝鮮の軍事目標にされるであろうと思っていた。 海からの攻撃は容易くできる。 ただ今までに、日本からの資金提供が欲しい北朝鮮が、その気の成らなかっただけなのである。 それくらい危険の地に「島根原発2号機」は間も無く完成する。

中国電力は、海側の防潮堤を東北地震以後、25m嵩上げした。 何の為?。かつてこの地は柿本人麻呂の時代、巨大地震に見舞われ、浜田市内で海底が4m隆起した事が知られている。 その時の津波は、10mであるから嵩上げなど必要ないはずであるが、嵩上げされた。 海からの大きな目隠しの中に「原発」はその姿を隠した。 無駄なことをするものである。 隠せは済むことではない。 

上関原発の発想といい、中国電力の経営陣には科学的に物事を判断する事のできる人材が存在しないようである。 否、「事故が起こっても国がなんとかしてくれる」 位の軽い気持ちなのであろう。 お金がかかれば、電気料金に上乗せすれば済むだけだ。 アメリカス・リーマイルド島の原発は停止するようである。 火力発電の方が単価が低いことが原因のようである。 「核兵器」の大量保有国アメリカでは、核物質のこれ以上の生産はかえって保管費用など考えると国家財政に影響してくるらしい。

日本も、これから使用済み核燃料の保管を何方がなさるのか、大きな目を見開き見つめることにしようと思う。

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