藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

おはぎ(3)

2021-06-08 13:55:24 | 日記・エッセイ・コラム

 「おはぎ」について、皆様から情報やコメントを沢山いただいた。 お一人お一人にご返事すべきですが、お許しいただきたいと思います。 

さて、胡麻の「おはぎ」の事ですが、近頃ではあちこちで見られるようになった様だ。 今は無き、「琥珀」と言う喫茶店が広島の中心街にあった。 広島銀行本店の裏通り、本通りと交差する手前に有ったが、名前からして「コーヒー」が美味しい店で、そこの常連だった。 平素は、和菓子は置いて無いのだが、春分の日と、秋分の日に「おはぎ」いやいや春は「牡丹餅」、秋は「おはぎ」が置いてあった。 その理由は定かでないが、何時か聞いてみようと思いながら聞く機会がなかった。 その店には、私専用の「タバコ置き場」が有って、「缶ピース」を常に二缶置いていただいていた。 一缶は、「ショートピース」が入っており、今一缶は、常に現金が入れてあった。 当時若い職人を連れていたので、彼らが日曜日など、街に遊びに出た時、コーヒー一杯はその中のお金から、その他は「自腹」と決めていて、その為にお願いして置いてもらっていた。 その流れからして、私が黒ゴマの「おはぎ」を見たのは、昭和四十二年の「秋分の日」と言う事に成る。 その店を出て、本通り商店街を東に曲がると、「金正堂」と言う本屋が有り、何時も本の取り寄せを頼んでいた。 当時、広島で一流の職人が手にする賃金は、月額三万円程であった。 そのころ私が一か月に使う本代が、一万円近かった。 そんな「金正堂」で、昭和四十五年に我が奥様と出会ったのが運の尽きだった。 一心に立ち読みする女性が居たので、よく見たら・・・。 一時間も事務所で、注文や代金の先払いを済ませて店に出てみると、まだ立ち読みをしていた。 彼女の事は、私の知人の幾人かが振られて、私の親友も口説き落とせず諦めた御仁だったが、私はあまり話した事は無かった。 その時私が彼女をからかったのが付き合いの始まりだった。 「お客様、申し訳ございませんが、立ち読みは・・・」。 その後、例の喫茶店に誘い、「国際ホテル」で、夕飯をご馳走した。 人生何が縁で繋がっているか判らないものだ。