東京では、
「おはぎがお嫁に行くときは
あんこと黄な粉でお化粧して
丸いお盆に乗せられて
ついたところは応接間」
と歌われたそうだ。
私の歌詞は将に広島の物らしい。 と言うのも、
「おはぎ」がお嫁に行く時は、
「あんこ」と「きなこ」でお化粧して、
「音戸」の関所で躓いて、
明日は、いよいよ「下関」。
と、歌うと、瀬戸内海航路が目に浮かぶし、音戸には、「警固屋」という江戸時代から、航路の関所があった。 明治以降も、軍港「呉」を警備していた。 そしてこの広島の歌詞は、将に「おはぎを食べた時の情景」を、お茶らけて見せているのだ。 「おはぎ」に思いきり齧り付いたら、喉仏で噎せ返ったが、お腹に入ってしまえば、「明日中には下から出て行ってしまう」という訳で、下関と結んでいるところが面白い。 オマケに、この曲だが、思い出してみると、
「オタマジャクシは、カエルの子、
ナマズの孫では無いわいな、
それが何より証拠には、
やがて手が出る足が出る」
と、同じ曲だった事に気付いた。 たしか、どこかの国の民謡の曲だった気がする。 なんという曲かは、今少し調べてみないと解からないが。
処で、広島の有名な喫茶店(今は無くなっている様だ)で、一度だけ胡麻を擦った物が塗してあった 「おはぎ」 に出くわしたことが有る。 二十二歳の時で、ある女性から告白された時、目の前にあったのが胡麻の「おはぎ」だった事だけは、覚えている。 この女性は、今の奥様ではない。 その女性が、胡麻の「おはぎ」を注文した事だけが、脳裏に焼き付いている。