藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

おはぎ(7)

2021-06-12 12:30:31 | 日記・エッセイ・コラム

 おはぎの事ばかり書いていたら、食傷気味になって来た。 実際には食べていないが、三日に一度は食べているからだろうか。 ふと気づくと、広島近郊で、未だに地名として茶屋と名が付く場所が残っているのは、一か所だけだ。 安佐南区にある「七軒茶屋」だけである。 石州街道の広島から二里辺り。 嘗ては名前どおり、七軒の茶屋が有ったそうだ。 今は一件だけ(あるらしい)らしいが、JRの可部線に「駅」がある。

     

茶屋の跡なら、ここ「西区」の別れの茶屋。 この街道に松並木が続いていた。 今は、電柱が・・・・。 今でも、日常会話に出てくる。

     

今は建物は無いが、昭和の初めまで営業していた可部峠の「長助茶屋」跡地は見ものだ。 旧石州街道の難所の頂上にあり、嘗ては、「乃木希典」は六度、松江の菩提寺に通う際ここで休憩したそうである。 その中の一度は、日露戦争で戦死した息子の遺骨を納めるたびだったそうだ。 その跡地が       

     

さてさて明日からは・・・・・。