藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

虚空菩薩?

2015-11-30 11:36:16 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝のお散歩からお帰りの奥様が、突然「守護神」の話を始めた。 私の守護神は真言宗では「不動明王」である。 奥様が毎日お散歩されている裏山は、金亀山 福王寺で、弘法大師が開山したお山である。 安芸国きっての名刹だ。 厳島神社の弥山も福王寺の兄弟のお山である。 この山は、弘法大師が訪れた時、金色の亀が出迎えたそうで、「金亀山」の由来となっている。 尋ねて曰く、「私の守護神を知っているか」?。 そんなものは知らない私が尋ねると、「きょ・・・・」 本人が一番知らなかった。 そこからが私の推察で、「「きょ・・・」・・・「虚空菩薩」?と尋ねると、どうしてお父さんは知っているのかと逆に質問された。・・・・無言のわたし。  「私の天然は守護神が悪いのよ。 虚空菩薩だから頭の中が、虚空なのは当たり前。」 それは「虚空菩薩」様に失礼だと言いたかったが、止めておいた。

 ところで昨夜の深夜放送のBSで、六十代のアマチヤバンド「影法師」の特集をしていた。 彼らは東北で長年活動してきたらしい。 彼らの歌の中には、原発が齎すであろう負の側面を震災三年前から、預言者の如く歌ってきたようである。 そして今年になり、NHK 「花は咲く」 に憤りをおぼえて、「花は咲けども」 という曲をつくったそうである。 ユーチューブで聞けるので皆さんぜひお聞きください。 特に「白川以北一山百文」は是非ともお聞きいただきたい。

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勘違い?

2015-11-28 10:05:53 | 日記・エッセイ・コラム

私の妻、「深山 あかね」のブログの読者の皆様は、思い切り勘違いをしておられるようだ。 コメント欄に寄せられる感想には、思わず笑いがこみ上げて来る物が有る。 読書量が多いので、「頭脳明晰」ぼけ知らずとお思いの方が多い様である。 どんな本を読んだかは、一年もすると忘れるし、本人が認める「天然ボケ」なのである。 今朝も食事の時、自らがそのことに触れて、「遠く離れた人々は実物を知らないから幸いだ」と言い出して、私は笑いが噴き出すのをこらえる事の難しさを経験したばかりである。 典型的な例としては、長靴財布事件がある。 結婚間なしに住んでいた県営住宅での話だが、空き巣が頻発したことがある。 その対抗策として奥様が考えた方法は、公園で遊んでいる子供たちを呼びに行くときに、財布を私の仕事用の長靴の中に入れておく方法であった。 思い付いた方法は素晴らしいのだが、それから先が思わす吹き出してしまうのである。 財布の避難場所を忘れてしまうのである。 早朝に長靴で出かけようと足を入れると入らない。 入らないのではなくて、財布が邪魔をしていたのだ。 奥様は財布の避難場所をすっかり忘れて、一か月以上も財布なしで生活していたようである。 またある時は娘と実家に出かけて、三次市を通り過ぎて島根県境まで行って気付いたそうである。 「天然ボケ」と「老人ボケ」との差はどこにあるのか、私には判断が難しいので、妻が「痴呆症」が発症しても気づかないだろうと思っている。 今一番気になるのは、運転中のことである。 

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「神国日本」と「イスラム国」の違いって何処?

2015-11-20 12:18:41 | 日記・エッセイ・コラム

「神国日本」と「イスラム国」のどこが違うのだろうか。 自爆テロと南京虐殺と、どう違うのか?。 私の知識の中では、その違いは判らない。 「昭和十年戦争」(太平洋戦争)とイスラム国の戦いの違いはどこにあるのか?。 たいして違いは無いように思えてならない。 狂気の中で戦争継続した旧陸軍と、イスラム国の残虐行為はどう違うのか?。・・・・・ 違いが判らない。 自己主張の戦争、対戦相手に対する敵対心をあおる国家主義。 少しも変わっているとは思えない。 沖縄に対する政府の対応と、イスラム国の占領地に対する対応の違いは表面的違いであるだけで、一般市民の犠牲を強いる事において違いはない。 福島における政府の対応はどうであろうかと見てみると、あまりイスラム国と違いは無いように思えてならない。 武器の使用が無いだけで、経済的締め付けという武器に変わっただけである。 ・・・・・・・・。 日本の国の行く末も、黒雲がたなびき始めたように思えてならないが?。

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どこかで聞いた言葉

2015-11-18 08:34:30 | 日記・エッセイ・コラム

 ジハード(聖戦)。 どこかで聞いた言葉である。 自爆テロ・・・・ もしかして「特攻」。 どこか七十年前の日本を彷彿させる気がしてならない。

 それに対して、日本までもが参戦したいらしい。 八十年前、対中国戦に「聖戦」と名づけた戦いをした国が、再び他国の「聖戦」に本格的に首を突っ込もうとしている。 資本家の欲望は果てしなく深いようである。 他国の不幸で金儲けしても、その反動は計り知れないことは、経験積みのはずだが、「やめられない、止まらない」状態のようである。 消耗品を大量生産し、産業界に活気をもたらすには「戦争」が一番らしいが、経済の疲弊は計り知れないものが有るはずである。 ベトナム戦争、アフガニスタン戦争後のアメリカ経済の落ち込みは、バブル経済の破裂で社会底辺層の庶民を痛めつけて、その余波は日本も巻き込み経済の停滞を招いたことは事実である。 若者は社会を信用しなくなり、ニート族や低出産の社会現象を生み出している。

 加えて、戦場で若者の血が再び流されようとしている現状を、政治家はいかに考えているのだろうか。 考えていないことは確かである。 自分たちの孫や、ひ孫は自衛隊に入りはしないのだから。 たとえ入っても高級幹部で、戦場において血を流すことは無いのだ。

 国民を食い物にする政治家を一掃する、「聖戦」こそ必要な事と思えてきた。 過激派の気持ちが何となく理解できそうであるが、そこが落とし穴なのである。 右翼の過激派「アベチャン」は、その様な心の隙間から侵入して、自民党の多数政党を形成したことをよく考えるべきである。 

 来年の参議院選挙こそが、真の将来日本の姿を決める事に成りそうである。 「軍国日本」か国民主体の「平和主義国家日本」かの選択となるのだろう。 戦前の過ちを繰り返すことの無きように願うのみである。

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明治時代に後戻り?

2015-11-13 13:02:14 | 日記・エッセイ・コラム

 明治時代ロシアの南下と、欧米の植民地政策を理由に、「亜細亜共栄圏設立」を理由に朝鮮半島へ進出した時代と同じ匂いがしてきた。 今回はお友達「亜米利加」とご一緒の所が少し違うだけである。 どうも不況の後にきな臭いことが起きてくる。 アベチャンの政策は、どこかしら戦前の歴代内閣に近いようである。 「資本家の利益の為の政策」と言えばそれだけであるが、戦前とは少し事情が違うようである。

 日本の企業も国際企業となり、国益よりも、「国際資本家」の言いなり経営に成り果てている。 赤字経営が続けば、株主総会で説明が出来ず、株価の暴落により企業価値が無くなるので、粉飾決算に手を染める。 アベチャンも、どうやらそのような綱渡り経営をしているとしか思えない。 「泣くのは国民」位の感覚と思えてならない。

 外遊で、シコタマお金を振りまいたと思えば、帰国後は臨時国会も開かず、だんまりを決め込んでいる。 さてさてこの上、選挙法が改正される次回の国政選挙で若者はどのような判断を行うのだろうか。 スマホのゲーム感覚での選挙投票はお断りである。 自衛隊の応募者が激減しているそうである。 上級幹部職員は、身の危険を避ける戦術しか考えない。 常に「国民」が盾代わりにされることは明白だ。

 再び世界の果てで、若者の命が消耗される時代が来るのであろうことは疑う余地のない事実である。 若者たちは、こんな日本の現状をどのように思っているのだろうか。・・・・・・・・ 

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