藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

67年前の8月7日

2012-09-27 15:14:34 | 本と雑誌

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給人原古墳群の隣の墓地で、ある墓の墓誌に目が留まった。「昭和20年8月7日没」没年15歳での死であった。明らかに原爆により亡くなったのであろう。その戒名からある学校が目に浮かんできた。旧制中学校「広島市立第二中学校」の名前である。この学校は、現在観音小学校で、嘗ては観音高等学校、一時期は野球の名門校広島商業高校も合併されていた事がある。「西観童児」の戒名から即に通称「二中」を思い浮かべた。私の姉の通っていた学校が観音高等学校だからである。「二中」の生徒の八割の生徒が、建物疎開先で原爆の直撃を受け亡くなっている。私の知っている人は、8月6日ハシカを発症し、比治山の自宅で床に伏していて、難を逃れた。勿論学校も全壊であったそうだ。

町内の墓所で偶然にも、昭和20年の現実を見詰める事になるとは、思いもよらぬ事であった。

それに附けても福島県の将来像を語る政治家が一人も出てこない。完全なる安全が確保されるまで、全ての物を国有化し、被害住民の救済を行うぐらいの大胆な発想をする政治家は居ないのだろうか。

北海道の「かわぐち えいこう」氏は、自らのブログで、万里の長城を遥かに凌ぐ防潮堤の建設を提唱されていたが、将にその論は正しい。

ついでに、地盤を40m嵩上げすべし。

土を切り出した山は、住宅地にし山間部にある「ダム」から灌漑用水を引き込み、一大農作物の生産地にすべし。放射能は地下40mに封じ込められる。15%の消費税は、自ずから景気刺激になり必要なきものになるように思う。

資金は、高利回りの「国債」を発行すればよい。「タンス預金」が吐き出されるだろう。

そんな夢物語のような発想を現実化できる政治家は居ないのだろうか。

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すばらしき会社に出会う

2011-12-27 06:06:58 | 本と雑誌

昨日、島市西区楠木町にある、井自動車株式会社を(あえて実名を記す)訪問した。 の四十六年来の友もまた、スベスト被曝者である。康管理手帳綿を取得すべく私が代行することとし(彼は窓口である労働局の存在する広島からあまりにも遠方に生活しているため、が代理人となって申請することにした) が、和三十八年から勤めていた、前記の会社を訪問したわけである。 社の窓口に行けば、の会社の内容が分かる年になった。 去窓口に立ち、心した会社は少ない。 の会社も、めての来訪者に対し、どこと無くよそよそしい。 去に、心した会社が一社だけある。ネコン大手の、田建設工業株式会社である。 手ゼネコンに出入りしていた私は、が肥えている れだけに、の小さな町工場の受付の事務員、た、回の書類作成の担当事務員の対応に心から感服した。 ず、装は私服であるが、こなしに気を使っている。 葉遣いも、代の若者と違い、語の使い方も完璧であり、客者に対する、度も、度に気を使うでなく、然でありかつ丁寧であった。島の片隅の町工場で、の様な気持ちのよい思いをしたのは、めてである。

長の社員教育の素晴らしさに感動した。 長は不在であったが、長の決裁を待って、認の書類に、名捺印を頂くこととしたが、 時間後、 帯に電話を頂く。く証明していただいた。 の心を晴れやかにしてくれる会社であった。 の様な会社で整備された自動車は、抜きも無く、適な運転が出来るであろうと私なりに、じている。 回車を買い換えるとき、の会社の推薦する販売店での、車を入したいと思わせるほど、 晴らしい会社であった。 れでまた一人、スベスト被害者が、 われる。

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