藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

エエエ!・・・・・閉鎖?

2018-08-30 20:54:43 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKの9時のニュースを聞いて、びっくり。 トーホー株式会社の大林工場、「ガラスの里」が、今月で閉鎖されるという事だそうだ。 そんな話、えー・・・・・。 其の発表の日に、私がブログで取り上げるとは、なんという巡り逢わせなのだろうか。 おそらく地元の人間は誰ひとり予想もしていなかったであろう。

この施設が・・・・・・。 「広島の宝」が一つ消えるのだろうか。 残念でならない。

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トーホー株式会社

2018-08-30 12:51:27 | 日記・エッセイ・コラム

不思議なのだ、これまで紹介した会社は不思議と山陽本線横川駅近辺に本社を置く会社なのです。 そして今回紹介する会社も、同じように横川駅から300mの所に、昭和26年会社を設立したのです。 当時の社名は「東宝グラスビーズ」。 当初は、可部線の沿線、安古市に工場をもっていたが、昭和38年可部町大林に工場を持つと急速に発展。 世界的にその名を知られることとなった。 そこで社名を「トーホー」としたのだ。

 

 これが本社。 横川駅から300mの所にある。 「万国製針」は同じ町内と言っても良い距離だ。 何を作る会社?・・・・・・。 皆様お馴染みの「ビーズ」を作っています。

 

 こんなのや

 

こんなの

も、作っています。

右手が大林工場。 世界一の技術を誇っています。 この中には、ビーズの博物館もあります。 「ビーズ」の聖地なのです。 ここでは、ビーズを使って、ネックレスや

こんなのを作る事が出来る「教室」が開かれています。 広島においでの時はぜひともお訪ねください。  待っていますよ。 私も同じ町内の住人です。

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直感力

2018-08-29 10:12:36 | 日記・エッセイ・コラム

自分の直観力の強さに吃驚している。 パイナップルの事である。 やはり挿し木で育てる事が出来るそうだ。 検索すると育て方が懇切丁寧に載っていた。 違っていたのは、収穫時期だけだ。 収穫まで3年かかるそうだ。 来年いただけそうにはないが、なんだか「ワクワク」してきた。 鉢を手に入れ、数本に増やしたくなった。 ただ冬の過ごし方がまだ不明である。 今日から本腰で調べまくって・・・・・・。 別に本職になろうなどの魂胆は無い。 今時、国産バナナがブームになり、一本300円でも買い手が殺到しているそうだ。 第二のブームに「パイナップル」などいかがな物だろうか。 ハウスバナナならぬハウスパイナップル・・・・・。 案外受けそうである。 伊豆や千葉あたりで生産したら面白そうだ。 ただ、実るまで3年とは長すぎる。 メキシコやブラジルの様な時間感覚の土地でなければ育てられそうにない。 でもやってみるどー・・・・・・。 三年後をめざして!・・・・・・。

増やすぞー・・・・・・。

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骨休め、気休め

2018-08-28 10:24:23 | 日記・エッセイ・コラム

なんとなくスーパーの売り場で、買ってしまった。 葉っぱの付いた「パイナップル」。 なんだか私に連れてってと、お願いされたような気がしたのだ。 二週間前の事である。 先には葉っぱがついているし、・・・・何てたって168円なのだ。 まだ青いが、しばらく鑑賞して、いやいやこの先ちょを挿し木にしたらつくかもしれないと、ただなんとなく思ったのだ。 帰宅後、先端の葉っぱをひねると、簡単に取れた。 よく洗って、葉っぱを間引いて鉢に植えてみた。

 

  今日で二週間 たった。なんだか順調に根付いているような・・・・・無い様な 。

今後一週間に一度、どう変化するのかお知らせします。 ひょっとして、来夏には「パイナップル」が実のたりして・・・・・・。 こうご期待。

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戸田工業(2)

2018-08-28 07:53:41 | 日記・エッセイ・コラム

昭和40年、新技術を勝ち取った戸田工業は、45年に大竹に工場を移しました。 それまで工場はこの写真の谷筋の奥まったとこでした。

背後の山は、亜硫酸ガスで禿げ上がり、木が一本んも生えていませんでした。 今でも赤い屋根の向こう、木の生えていないところがあります。 工場移転から45年、やっと植林された木々が生えそろってきました。

ところで、皆さんは「乗合自動車」、いわゆる「バス」が、日本で初めて運航されたのが、山陽本線横川駅と可部の町を結んでいたことはご存じ無かろうと思う。 それは明治38年の事で、その状況は、井伏鱒二の小説で紹介されているので、一度お読みいただきたいものです。 当時こんなバスが走っていました。

 二十年前、横川の町の有志がそのバスを再現しました。 当時は道は悪く、バスは度々故障して、修理代が高くつき、加えて太田川を挟んで左岸側でもバスが運行され、六か月後に共倒れしました。 井伏鱒二はその状況を、面白おかしく書いています。

さて明日は、そのバスの終点、可部町に工場を構えて、世界に羽ばたいた「東宝グラスビーズ」をお送りしたいと思っていますが・・・・・。 資料が見つかるかどうか   頑張ってみます。

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