藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

私は元来自民党

2021-08-30 15:11:07 | 日記・エッセイ・コラム

 藤山政治大学第一期生だ。 松下政経塾などない時代に、藤山愛一郎が若い政治家を育てるために始められた講座だった。 自らも講師となり、当時の政治評論家や、現職の国会議員が講師となり。 一週間缶詰で、学習会が開かれた。 後には友愛青年同志会にも所属していたし、石原慎太郎が初めて、参議院に立候補した時は、広島県の青年部長も遣った。 しかしながら近年の自民党の腐敗は、安倍から始まり麻生が裏で画策。 余りにも金権政治がまかり通る世の中に成ってしまった。 その原因の一つは、ITバブルである。 社会の大きな曲がり角になった時、正しい判断が政治家が出来なかったら、過去必ずや大事件に繋がっていく。 日本の宿命なのだろうか。 戦後それを持ちこたえていたのは、批判勢力であった労働者、社民党と共産党であった気がする。 ところが、労働者が「ホワイトカラー」に成った途端、労働者意識が無くなり、支配階級に成った気分におなりの様だ。 そこから、はみ出してしまった連中は、定住が出来ず、定職に着けず、野宿者になっている。 また他の一面では、麻薬ブームとなり、麻薬成金が存在し、浮かれ上がっている。 その流れの一部は、音楽界にもおよび、「〇〇48」ナゾと言う、音楽的価値が低い連中がTV番組を席巻し、子供たちまでもが、学ぶことより歌う事を喜ぶ傾向が出てきてしまった。 此の責任は政治に有るが、スポンサーとしての企業にもある。 国は思わぬところから腐り始め、その結果が戦争や、個人のテロとなって現れるのだ。 他人に硫酸を懸けて何がうれしいのだろうか。 此の政治の腐敗を正すのは、並大抵ではない気がする。 ただこのような状況に、必ず強権的右翼が台頭して来る。 命取りにならぬよう気を付けるべきだ。

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76歳に成ってようやく到達した健康管理。

2021-08-29 20:22:35 | 日記・エッセイ・コラム

 27日、広島市安佐市民病院は、本気では病人の事など考えていない事がはっきりした。 有る患者さんが、診察予定時間を一時間過ぎても、担当の医師がやって来ない。 痺れを知らして、看護婦に詰め寄った。 看護婦は、血液検査が長引いているからだろうと、誤魔化しにかかる。 暫くもめていたその時、私はメモ帳を取り出して、この先生の過去の、出勤時間をみんなの前でしゃべり始めた。 要するにこの先生は、ルーヅなだけなのだ。 本日も診察が遅くなるようなら、帰りに院長に直談判をしようと思っていたので、好都合である。慌てたのは、看護婦たちだ、 確かに大きな病院ならば、急患が有り、その為に外来の診察で遅れる事は有る。 そうではない、この先生は、夜勤明けは十時過ぎまて迄寝て、目が覚めてから食事をして、診察を始める。 毎回十時四十五分が過ぎている、その事を知ったのは、先々月だった。 患者の予約は、九時半が最初だ。 つまりその三十分前に、血液検査を済ましている。 公務員としての医師の資質が疑われる状態だ。 私が大きな声で、内科中、八部門の先生方にも聞こえるように話したから、他の部門の、同じような行動をしていた先生がたが、ドタバタ、ドタバタ。 待合室の患者さんからは拍手。でも皆さん、こんな病院が、今回広島市の予算で、56億円かけて建て替えて、規模が大きく成るのです。 信用できますか。 岡山大学や、島根大学などの、真剣な大学が、次々と、広島県に進出してきているのです。 来年四月から、新規施設で新規診療が始まるのですが、今私は、別の信頼できる病院を探しています。 皆さん「マツダ」病院を頼りにし始めました。 広大医学部の崩壊が始まったのでしょう。 広島市内から、」山の中に移転した付けがやって来たのです。

しばらく、ブログをお休みしるかもしれません。 今回の衆議院選挙は、たとえ私が選挙違反で検挙されても、自民党の「金を貰い得」の議員だけは作りたくありません。 その陰で、議席を狙う、公明党。はたまた、維新の会。 彼らに政権を渡すわけにはいかないのです。 がんばれ「共産党」甦れ「社会民主党」。

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無くなった風習

2021-08-25 08:59:41 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和三十年代まで、広島の街でも、夏と言えば、虫の音を楽しむ風習があった。 子供達は、「キリギリス」を捕まえて、虫かごで飼っていた。 熱い夏休み中、「チョウンギース」 と鳴いていた。 それに夜となると、「クツワムシ」。 「ガチャ、ガチャ、ガチャ、」 と、一晩中鳴いていた。 こんな虫を売っている店が、市内の中心部にあって、料亭や、大きな邸宅の住人などが、買い求めていらしたようだ。 俗にゆう風流人の方々である。 結構子供の小遣い稼ぎになっていた。 「キリギリス」が十円、 「クツワムシ」 は、十五円で買ってくれた。 大きな料亭は三十個以上の虫かごを、庭につるしていた。 私は縁あって、広島では一番大きく、高級な料亭に、直接虫を売りに行っていた。 それはビックリするくらいの値段で、買っていただいていた。 秋に成ると、「鈴虫」や、「こおろぎ」など、秋の虫を届けていた。 特に喜ばれたのが、「草ひばり」だった。 その爽やかな鳴き声は、料亭に相応しい鳴き声だった様だ。 小泉八雲も、この虫を好んで飼っていたそうである。 その代金は、私学の中学校の授業料となって消えた。 そんな副収入が無い時は、新聞配達と、牛乳配達で賄っていた。 そんな風流な時代は、二度と来ないのだろう。 

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ただ生きているだけ

2021-08-24 11:06:24 | 日記・エッセイ・コラム

 現在の私を客観的に見てみると、「ただ生きているだけ」である。 世の中に、害も及ばさず、かといって、益も与えていない。 年金と少しばかりの不動産収入で、食うや食わずの生活をしている。 誰にも迷惑を掛ず、かといって遣りたいことはやっている、そんな日々の生活ではある。 以前から、「古事記」をゆっくり読んでみたいと思っていたが、昨晩から手を付けた。 手の付け方が良くなかった。 手元にある本を読み始めたが、どうも私がやりたい方向と違う気がして、中止。 パソコンの前に座って検索すると、ザクザク出てくる、「古事記」の記事。 今その中の、どれを最終的に読むか、検討中である。 しかし、この作業、一週間では終わりそうにない。研究者の執念が籠った報告で、どのものも、すごい気力が感じられるのだ。 先ずは、原文に一番忠実に解釈されたものを読みたいと思うのだが、・・・・

所で、本日不思議な現象が有る。 もしかして、広島市安佐北区に大きな自然災害が起こるのではなかろうか。 何時もの「鹿」の鳴き声も、「狐」の雄叫びも、早朝の「烏」の鳴き声も聞こえて来ない。 もうすぐ、十一時だが、聞こえてくるのは、国道の自動車の音だけだ。 地虫の声さえ聞こえて来ない。 不気味である。 何方も気が付いていない様だ。 ただ、何時もは聞こえて来ない、はるか離れたお宅に飼っている、「鶏」だけが妙に鳴いている。

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日本の政治家の馬鹿さ加減。

2021-08-23 07:59:56 | 日記・エッセイ・コラム

 パラリンピックも、強行するそうだが、コロナの第二の爆発的増加の、引き金になる事は間違いない。 TVの前に陣取っているだけなのは、それは年寄りだけ。 若者は、海へ山へ町へとお出かけである。 何処へ行っても人は存在しているのだが、この長雨で屋外での遊びは出来なかった。 必然的に、室内となる。 カラオケ店を封鎖しても、個人の家は封鎖も出来ない。 況してや、会社の寮などは、絶好の隠れ家と成ってはいまいか。 そんな中、三重県知事は、国体を中止すると、文部科学省に要請したそうだ。 英断であると評価したい。 地方自治体が努力しても、国が緩んでいては、此の勝負負けである。 何だか太平洋戦争を開戦した時の、日本に似てきた気がする。 国際情勢に、振り回されているのではあるまいか。 このままでは、日本の経済活動に迄、大きな影響が出る事は疑いの余地はない。 他国は、むしろそれを望んでいるのだ。 嫌なことは嫌と、はっきり意思表示すべきである。 このまま行くと、最後には他国迄も、コロナ戦争に引きずり込む危険がある。 特にパラリンピックは、より多くのボランティアを必要とするのだ。 況してや、直接力を貸す事も多いいはずだ。 さてこの結果は、如何成るのでしょうか。

 ところで、この写真をご覧いただきたい。

     

「嘴太烏」君だ。我が家の前の通りの角で、朝早くからお鳴きである。 鳴くといっても、単純な鳴き声ではない。 「ワン」でもない。「カー」でもない。 どこか、犬の鳴き声に似た鳴き声で鳴いている。 と、その下の家の犬と、その隣の家の犬が、反応する。 犬が「カヲーン、カヲーン」と鳴けば、烏も「カヲーン」と、少し籠った感じで鳴くのだ。今朝は早々と、六時過ぎからおやりになった。 此の行動は、雨が止んだ時におやりの様だ。 晴れていると、今少し遅い時間におやりなのだ。 毎日ではないので、声が聞こえてから、カメラを持ってベランダに出ると、ぴたりとお止めに成る。 自動で採る方法がなかろうかと、考えてみるのだが、烏様が止まる位置が、毎回違うのだ。わがベランダからは、三っ本の電柱が見えるが、夫婦でおいでの時は、また違うパターンで、犬を揶揄うようだ。 嘴細烏は、物まねが出来ないそうだ。 我が部屋に侵入を試みる輩は、嘴太烏の方である。

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