読書と旅行の感想記 Impression of reading and travel
テリールーム terryroom
ベートーヴェン

上田先生より、「ベートーヴェン」について学びました。
内容は、
*ベートーヴェンは、1770年にボンにて生まれる、ナポレオンとほぼ同時代に生きる。
*家庭環境は良くなく、ほぼ独学で音楽を習得する。
*19歳で、耳が聞きにくくなる。
*上田先生に、ピアノソナタ「悲愴」と「熱情」を演奏してもらう。
*交響曲「田園」を聴いた。
などでした。
良いピアノ演奏でした。
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小田原合戦

中村先生より、「小田原合戦」について学びました。
内容は、
*秀吉の姉を家康に婚姻させ、家康が秀吉に臣従することになった。
*ほぼ、秀吉の天下人が決定したが、北条氏政と北条氏直の父子が臣従しなかった。
*家康の斡旋により、真田と北条の争いの裁定が終わり、臣従が行われようとしたが。
*沼田裁定が、北条方側から破られ、秀吉による小田原征伐となる。
*小さいな戦いのあと、北条方が敗北となり、氏直は切腹、氏直は高野山に追放され、北条は5代にて、ほぼ終了した。
などでした。
小田原の北条は時流を見る目がなかったなあと、印象を持ちました・
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小牧長久手の戦い

中村先生より、「小牧長久手の戦い」について学びました。
内容は、
*山崎合戦の跡、織田信長の跡目は、秀吉✙信勝VS柴田勝家✙信孝の争いとなる。
*天正11年、賤ヶ岳の戦いで、秀吉は勝家を滅ばす。
*信孝を追放する。
*天正12年、秀吉VS信勝✙家康で、小牧長久手の戦いを行い、家康が勝つ。
*秀吉と信勝が和議をする。
*秀吉に天下人の評価が集まり、秀吉と家康が和議をする。
などでした。
12月中は、午後の活動がなくなった。
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ヴァイオリン演奏

今日の午前は、嵯峨山庸子先生のヴァイオリン生演奏を楽しみました。
大変良かった。
合計9曲聴きました。
「G線上のアリア」、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ、ブラームスの雨の歌などでした。
どれも良かった。
こんな講義を待っていたのです。
この講座を選んで良かったです。
午後は、モーツァルトの「フィガロの結婚」のオペラのCDを見ました。
又、我が班の学習成果発表会のテーマを、メンバーで話をして決めました。
「楽器演奏と合唱」に決まりました、良かった。
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山崎合戦

中村先生より、「山崎合戦」について学びました。
内容は、
*天正十年(1582年)6月13日、秀吉・織田信孝連合軍が、明智光秀を山崎で破った戦い。
*明智勢は援軍がなし(細川藤孝や近畿地方の武将が加わらず)。
*秀吉は、毛利氏と和議を結んで、中国大返しを行った。
*軍勢は秀吉軍は約2万で、明智軍は半分以下。
*13日夕刻より始まり、すぐ明智勢が劣勢となり、13日夜、光秀は山科で土民の襲撃をうけて自殺。
などでした。
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本能寺の変

中村武生先生より、「本能寺の変」について学びました。
内容は、みんなが知っている「本能寺の変」の話でしたので省略します。
午後は、我が班の学習成果発表会のテーマ「本能寺の変、ifなかったら」について議論しました。
PowePointでの発表形式を決めて、特に、織田政権は長く続かなかったという観点で議論をしました。いろいろな意見が出て、面白かった。
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桶狭間の戦い

若井先生より、「桶狭間の戦い」について学びました。
内容は、
*信長の父の織田信秀は、守護・斯波氏の守護代のひとりだった。
*信長が家督相続あと、清須織田氏の滅亡、弟信行の殺害、織田信清を倒し、尾張を統一。
*信長の初期の時代は幸運が続いた。
桶狭間の戦いで、今川義元を破る。
斎藤道三の娘と結婚と支援を得る。
道三の息子の義龍死亡と、その息子の竜興を倒す。
*そして、1568年上洛を果たす。
午後は、我が班の成果発表テーマ「本能寺の変、ifなかったら」について、メンバーでブレーンストーミングを行った、いい感じだった。
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クラシックギター演奏

上田先生より、クラシックギターについて学びました。
内容は、
*古代エジプト、古代ギリシャ時代に、ギターの原型が存在した。
*18世紀には、演奏のためのギター局が出現。
*19世紀後半には、ギター局の黄金時代となった。
また、米阪隆広さんの生クラシックギター演奏を聴いた。
禁じられた遊び、アルハンブラの思い出、イエスタデイなどを聞いた。
充実した一日となった。
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明応の政変と戦国時代

若井先生より、「明応の政変と戦国時代」について学びました。
内容は、
*明応の政変とは、足利将軍家でのクーデター、細川政元と日野富子の応援で、足利義材を追放し、義澄を将軍とした。これ以降、下克上と戦国時代に突入した。
*細川政元が三人の養子を取り、もめごとが起こり、政元を含んだ4人間で殺害が起こる。
*細川晴元の時代が続き、そのあと、家臣の三好長慶に敗れる。
*三好の部下の松永久秀が大和を統一し、三好長慶を下克上する。
*このあたりは、大河ドラマの「麒麟が来る」で今やっている。
などでした。
応仁の乱と、戦国時代への入り口が明快となった、良い講義だったと思います。
午後は、我が班の成果発表テーマの「本能寺の変を考える、もしなかったら」について話し合った。来週は、本能寺の変関連の現地調査を、京都で行うことに決まった。
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応仁の乱

若井先生より、「応仁の乱」を学びました。
内容は、
*8代将軍義政が年が若かったので、側近政治をした。政治が乱れ、失政した。
過度の課税と、頻繁な徳政令をした。
*有力守護大名の対立、内部分裂があった。
*1467年に始まり、10年続き、1477年に終了。
*きっかけは、畠山兄弟の家督争い、兄弟げんか。
*東軍と西軍に分かれて、京都で戦う。
*東軍は細川勝元、西軍は山名宗全が主力。
*1423年に、勝元と宗全が死、1477年に西軍の大内正弘と畠山義就が撤退し、終了。
などでした。
これで、応仁の乱は分かった!
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