「手元供養」はアクセサリー 死別から立ち直る一助(産経新聞) - goo ニュース
今まで乗り越えがたいほどの「死別」の経験の無い私には実感はないけど
「死者と同居する文化」ってのは、
必要・有用な時もあるんだと思う
だけど自分の思いで包み込んでしまった「死」は
自分の思いを超えられないじゃないかな
自分の思いで死者をはからったり、死者に振り回されたり
「死者」と「私」の関係がよりパーソナルなものになって
「ああ、そうだったね」と気づかせてもらえる「他者」とか「法」とかが無くなっちゃう
世の中自体そういう方向性だもんね
そこを乗り越えたいと思ったときに
真宗門徒にはお内仏があり
「死者」は「諸仏」となる
三折本尊をもっとコンパクトにして手元本尊ってのはありかしら?
あ、これ今度、「真宗の本尊」の問題提起に使おうかな