寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

やっと・・・・

2009-06-10 08:37:28 | 
大幅に遅れて寺報完成

月末の永代経法要の案内に同封の予定だったので
もう少し早く発送したかったんだけど
例のごとく、産みの苦しみ・・・遅延分娩・・・・。



何が苦しいかっていうと
言いたいことは頭の中にあるんだけど
どんな言葉や表現でそれを共有するかというのが悩みどころ
特定多数の方々が頭に浮かんで
なかなか上手い具合に言葉に変換できない

今回の特集は先日の「花まつり」-お寺に子ども達の居る風景

で、編集後記もそれに合わせて
実は編集後記が自分としては一番力入れてる部分
他の記事はちょっと「ええかっこしい」で書いてるけど
後記は坊守の感話的部分なのでのびのび書ける・・・ということにしてる


編集後記
▼2011年の親鸞聖人七五〇回御遠忌が近づいてきました。団体参拝の具体的な日程が決まり、瓦懇志を頂いた方々のお名前が記された瓦が葺かれた本願寺御影堂も間もなく修復が完了します。▼2011年はまた、親鸞聖人の師である法然上人の八〇〇回御遠忌にもあたります。親鸞聖人は二九歳の時、比叡山を降り、吉水の法然上人を訪ね、上人の「ただ念仏して、弥陀(みだ)にたすけられまいらすべし」という教えに帰依されて弟子となります。私達真宗門徒のお念仏の歴史はここから続いているのです。▼ところで、先日の花まつり、楽しかったですね。「子どもおとき」では、お客僧さんに「これは何という食べ物ですか?」と「おから」を知らない子ども達が尋ねていました。▼五十年前、おからを知らない子どもは居なかったでしょう。ダイアル式の電話も、蚊帳も、等々・・・形が無くなり、伝える人が居なくなれば次の代には伝わっていきません。▼そう思うと、親鸞聖人が法然上人に出会われてからの750余年、お念仏が今に相続されてきた事のご苦労と不思議を感じます。▼「次の世代に伝える」というのはなかなか難しいものです。若者は、価値観や伝統の押し付けを嫌がります。「そういう大人は何が本当に大切な事が判っているのか、大事なことを大切にした生き方をしているのか」と反論され戸惑います。子育てをさせていただいて本当に痛感する日々ですが、子どもの手厳しい指摘から、大切なのはこの私自信が伝わって欲しいと願われた身であったのだと知らされます。▼『前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す』(『教行信證』化身土巻)・・・子ども達に伝えたい事ありますか?(坊守)