聖徳太子の名前が日本史から消えると言われている。
その理由は偉業の多さらしい。つまり、一人で成し遂げるには無理があるから、だそうだ。
その名聖徳太子が初めて登場するのが日本書紀であり、日本書紀に厩戸皇子の名が記載されていないから、どうやら聖徳太子が架空の人物ではないのか、との仮説かららしい。
古事記、日本書紀は神話が含まれる為、これによって史実を確定させることを避ける傾向がある事は承知している。
しかしながら、仮にもこの二冊は歴史書であり、古事記が国内向け、日本書紀が海外向けであることからも日本書紀はやや誇張してあると言われる。
そして神話を否定し、これら歴史書の価値と評価を落としたのは戦後で皇国史観を徹底的に排除するためでもあり、小学校から二宮金次郎の像が消え、子供が真似しないようにとの全く別理由の配慮から座る二宮金次郎まで作っていることも同じ理由から排除していると思われる。
近現代史を教えずに、神話すら教えない日本の歴史教科書で歴史を学ぶ価値が果たしてどの位あるというのだろうか。
既に戦後の教育は実行され、天皇を誰より元気なスーパーお爺ちゃん位にしか感じていない国民が量産されていることに日本の終わりを案じながら、聖徳太子位は残しても良いのでなかろうかと思う今日この頃である。
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