天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

南京大虐殺と松井石根

2018-04-25 15:02:35 | 歴史


松井、南京入城。このとき、松井は一部の兵士によって掠奪行為が発生したと事件の報を聞き、「皇軍の名に拭いようのない汚点をつけた」と嘆いたという。

翌日慰霊祭の前に、各師団の参謀長らを前に、松井は彼らに強い調子で訓示を与えた。
「軍紀ヲ緊粛スヘキコト」
「支那人ヲ馬鹿ニセヌコト」
「英米等ノ外国ニハ強ク正シク、支那ニハ軟ク以テ英米依存ヲ放棄セシム」

と語ったという。松井は軍紀の粛正を改めて命じ、合わせて中国人への軽侮の思想を念を押すようにして戒めた(上海派遣軍参謀副長の上村利道の陣中日記より)。後の東京裁判における宣誓口述書では、一部の兵士による軍規違反の掠奪暴行は認めたものの、組織的な大虐殺に関しては否定している。(wiki)

12年12月 南京事件

昭和13年1月16日近衛文麿首相の「蒋介石を対手とせず」宣言(近衛声明)
松井は軍中央から中国寄りと見られ、考え方の相違から更迭され、2月21日に上海を離れて帰国し、予備役となった。

13年2月26日松井石根葉山御用邸上奏

勅語
卿前ニ上海派遣軍司令官ニ任シ次テ中支那方面軍司令官トシテ閫外ノ重任ヲ荷ヒ錯綜セル國際關係ト困難ナル戰局トノ間ニ處シ克ク皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ朕親シク復命ヲ聽キ更ニ卿ノ勲績ト將兵ノ忠烈トヲ惟ヒ深ク之ヲ嘉ス

《私訳》
昭和天皇のおことば
あなたに上海派遣軍の司令官を任せ、次の中支那方面軍として大陸での大事な立場にあって、複雑な国際関係と困難な戦争のなりゆきとの間で対処し、皇軍の強くたくましいことを知らしめました。私はこうして報告を聞きあなたの働きと将兵の忠実さは大変良くやったと思っております。


昭和13年二月二十六日の日記抄
葉山御用邸ニ伺候出征以來ノ情況ヲ上奏 復命ス
陛下ニハ特ニ豫ニ對シ優渥ナル勅語ヲ賜ヒ感激恐懼ニ堪ヘス
181頁

《私訳》
葉山御用邸に出征してからの状況を陛下にご報告しました。陛下は私に対して手厚く勿体ないおことばを賜りあまりにも畏れ多ことで感激しております。





【若者風現代語訳】
俺が南京に馬で入場する前に今の若い奴らは全くたるんどると小耳に挟んだから、ここは少しふんどしの紐を締め直さんといかんということで支那人を馬鹿にしたりしないで、英米には強く正しく、支那には英米依存から解放してあげるつもりで少し軍の規律を厳しくしたからちゃんとやれよと言ってやった。

そしたら暴支膺懲の近衛が親中か?生ぬるい!よし松井更迭で予備役、つまりは引退させられたわけ、葉山の御用邸に直接天皇陛下にお褒めのおことばをいただいて感無量ですよ。後余生は日本と中国の戦い死んでいった両国兵士を大陸の土と日本の土で作った興亜観音像を作って慰霊することを余生とします。南京大虐殺⁉️何それ