天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

小林よしのり女人禁制は伝統ではないを考える

2018-04-05 15:59:21 | 時事



救命活動中の女性に「土俵から降りろ」とアナウンスがあったことが報道されている。
相撲は「女人禁制」が伝統と信じ込んでいる観客が騒いだので、行司が慌ててアナウンスしたらしい。
人命を無視して心臓マッサージを止めるわけにはいかないのは当然のことだ。
人名より伝統が大事というのは伝統を原理主義と勘違いしているカルトである。

今回のケースを緊急時であるから特例だと考えてはならない。
「女人禁制」は伝統ではなくて、「因習」であるからだ。
相撲における「女人禁制」は、明治の「男尊女卑」の強化から伝統だと勘違いされていったものだ。

日本書紀の雄略天皇の記述部分に、最古の采女による女相撲の記述があるし、室町時代には比丘尼が相撲をとっている。
江戸時代には女相撲は頻繁に行われていたし、明治15年にも山形県で女相撲が行われている。
もちろん女相撲も上半身裸で乳房丸出しだ。

だが明治になって、女性が取っ組み合う様子が野蛮で文明開化ではないと板垣退助が批判し、この文明開化の波に乗って、長年、相撲界に蔓延る男尊女卑の土壌が女人禁制を伝統として浸透させ、その論拠として神道の汚れの感覚が利用されたようだ。

男尊女卑の感覚自体が、実は文明開化なのである。
これによく似ているのが女性宮家の排除とか、大嘗祭の女性皇族の排除とか、女性天皇の拒否とか、天皇は男系継承しかダメという、皇室に関する男尊女卑思想である。
相撲とまったく同様に、明治の文明開化と、神道・仏教の女性蔑視思想がドッキングして伝統だと勘違いされたものに過ぎない。
原理主義としての伝統など、日本には存在しないのだ。

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日本には古代より屎戸(くそへ)という言葉がある。神聖な場所に汚物を撒き散らす意味である。
これは穢れの概念が発達することに拍車をかけたとも考えられる。女性の血もまたその様に考えられてきたことは事実であるが、イコール女性蔑視、女人禁制とはならない。

小林氏の様に明治の因習、男装女卑もかなり拙速である。

穢れは衛生的にも、医療の発展にも貢献しているはずである。ウォシュレットなども穢れからの恩恵とも言えるだろう。子供を産む女性を守るとの概念も皆無ではないであろう。

小林氏の話の落とし所は結局女性宮家なのである。神事の相撲は女性蔑視ではなく、明治からの因習が蔑視であり、皇室の男尊女卑であるとし、女性宮家の排除であるとのロジックである。

厚かましい皇統断絶論者である。

土俵と女性

2018-04-05 07:11:06 | 時事


京都府舞鶴市で行われたおおずもう春巡業で、多々見良三市長が土俵上で倒れた際、応急処置に関わった女性に対し、行司が場内アナウンスで「女性は土俵から下りてください」と伝えたことを明らかにした。
大相撲の土俵は古くから女人禁制だが人命軽視と炎上している。



八角理事長が謝罪文を出しているが、これが全てを物語っていると同時に大相撲の問題点が露呈している。

伝統的国技或いは神事とも呼ばれる大相撲だが、そこに胡座をかいて危機意識が欠落しているようだ。少しはドサ廻りのプロレス巡業を見習った方が良さそうだ。

動画を見ると女性二人が躊躇しながら何も出来ず土俵を降りる様子が確認出来る。この様な場面は巡業する以前に危機管理として想定すべき事案であるからだが、それでなくとも女性差別の疑念は随分以前から存在していたのだから、素晴らしい伝統を後継者が潰しかねない。

これは大相撲だけの問題ではなく、神事と謳う以上皇室の伝統と直結しているのだ。それでなくとも国連で皇室は女性差別との問題が最近話題になったばかりである。