いつ頃からか、縄文遺跡から眺める風景が気に入りよく散歩しています
不思議な雲がよく見られます
対岸の下北の山にかかる雲、命があるように変わりました
なにげなくGoogleの記事にたしか神奈川の縄文遺跡に石畳と列石
という記事があり、縄文は土器土偶が注目されますが
磨製石器が祀る大切な神器だよと思えました。
弥生になって石剣は銅鉾となったような
縄文は世界中では新石器時代、列石、ピラミッド、神殿に石が使われています
縄文の敷石を検索すると
史跡寸沢嵐石器時代遺跡
相模湖寸沢嵐にある国道412号沿いの遺跡です。増原地区在住の故長谷川一郎氏の調査研究によって、昭和5(1930)年11月には国の史跡に選定されました。約4000年前のものと推定される縄文後期の柄鏡(えかがみ)形敷石住居跡からは、石斧、石器、土器などが発掘されたほか、中央に正六角形の炉が切ってあり、火を焚いた跡も見られます。当時の様子を知る貴重な研究資料です。
川尻石器時代遺跡
• 所在地
相模原市緑区谷ヶ原2丁目788-2・789-1ほか
• 概要
縄文時代中期から後期(約5,500~3,500年前)の大きな集落跡で約2.3ヘクタールが国史跡に指定されています。大正年間からの調査歴をもち、豊富な遺物とともに、敷石住居跡、配石遺構、配石墓群など礫石を多用した遺構が多数保存されており、現在、その一部を露出展示しています。
縄文時代中期には大規模な環状集落がつくられ、発掘調査により80軒以上の住居跡が確認されています。中期終末から後期初頭になると、住居形式が竪穴式から柄鏡形敷石住居へと変化し、集落の規模は縮小します。後期には、敷石住居跡とともに配石遺構や配石墓群などが何箇所かで見つかっています。また、晩期においては、集落中央部を窪地化させた造成の痕跡が確認され、焼骨が多量に出土するなど、特異な縄文文化の変遷を今に残しています。
縄文遺跡の場所は気の流れよい所であり
縄文の波動を蓄えた石器や土器が有るような気がします。
遺跡の回りって不思議な空間ですが
上空もそうですよね。
気が良いのか
遺物もあまり壊れないで発見されたりします。
沖縄は石灰岩なので古代人の骨の状態も
非常にいい状態で発見されているそうです。
遺跡の回りに古への何かがあるような気がします。
刻々と変化する雲は空に描かれた曼荼羅のように思える時があります。
空(くう)を描いたものが曼荼羅かもと思えます。
世界的に石灰岩を含む洞窟に壁画が描かれていますね。洞窟から巨石を使った神殿に変化のなかで、メイズハウは古への人は、星の位置を大切にしていたことを示しているように思えます。
火星が輝いている間に聖火の悠久からの流れをかけたらいいなと思ってます。
現在、石灰岩と御先(琉球縄文)の考察を
続けています。
基地の中の神様に答えがある気がしますが
結界が強いですね。
現実社会ではマシンガンを持って
ゲートで警備をしている兵士を見るたびに
そう思っています。
石灰岩と御先にいにしえの道を感じているのですね。
イスムノグチはplay equipmentをとおしいにしえの大地とむきあう感性が産まれることを願ったようです。それは彫刻をとおし石と会話したことによると思います。
私は、ザラツストラの拝火教と権力に屈した儒教の災異説にいにしえの道をさがしてるところです。