世界遺産登録により整備された垣ノ島遺跡
縄文早期から晩期までの6000年定住した遺跡が発掘
最古の漆の副葬品も発掘
縄文中期に千年以上かけて造られた190mを超すのコの字型の盛土
様々な道具の送りの場
コの字型の中央の丘では青龍刀、石棒が発掘され儀式が行われたことを示す
三年ほど前は草が茂り、回りに多くの木が有ったのですが
世界遺産登録を機にきれいに整備されていました
子供のお墓からは足型が発掘され
人や物を大切に祈る感性が永い繁栄につながるのでしょう。
今の時代に一番忘れられたことのような
墓所から夜半には、天の川がまっすぐ立ちあがる
遺跡を歩いていると色々な連想を産むような
函館空港縄文早期遺跡の近くにある志海苔館 コシャマインの乱が有ったとされる
近くの道路工事で日本最大の古銭が発掘
江戸時代より銭亀が見つかるので銭亀と呼ばれていた
明の古銭が多いが、紀元前の前漢の古銭も含まれる
倭人とされる志海苔館の人は倭国、中国と交易した縄文の末裔
アイヌとされるのは、樺太、千島、沿海州と交易した縄文の末裔
ただ、北海道の倭人は本州からの渡党とされてます
明治以降の常識が固定化されたものですが
それ以前はどうだったのだろう
遺跡には連想を産む何かがあるような気がします
母の気持ちは何時の時代も同じだったのでしょうか?
縄文は宇宙と一体化していたと言われているのでまた違う気持ちでいたのか。
生きとし生けるものへの思いやりが本当に少なくなりました。
儀式は過去のものだと言う人もいますが
遺跡を巡るとまだ息吹きを感じる所もありますから感性も人それぞれですね。
その伝承の感性と弥生や縄文の感性を結ぶ視点はあまり見られませんね。
万葉集に、神代より倭の国は言霊のさきはふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり。
その言霊はいにしへの祭儀とつながるような気がするのですが。
土器の多様な紋様は、流転や循環する自然の神秘を描いていると思えるのです。
でも、土器の焦げ跡は煮炊きに使用したと解説されます。
古い宗教ゾロアスターやバラモン教では火を聖なるものとされるのに
日本の学芸員は、焦げがついていると食の道具と書きたがるのでしょう。
垣ノ島遺跡を訪ねた時、一組のご夫婦と解説員がちょうどスタートするところだったのでご一緒したのですが、
盛土の中央の祭儀をした場所で解説員が説明で宝くじをお願いするといいですよ、と話してました。
瑞穂の国は言挙げしないとは言えませんね。
今だからこそつながるものが有ると思えるので、つい長くなってしまいました。
二番目の画像は夕陽に染まり始めた東側、海の方角です。