あまりに大きな問題なので、
一つだけ。
人間というのは、基本的に、
見られていないと悪いことをする生き物なのだと思います。
分からなければいい、発見されなければ犯罪じゃない、
そういう考え方です。
もう一つ根本的なことを言うと、
人間には、
「法律を守っていれば、法を犯していなければ何の問題もない」
という考え方が支配しているということです。
これらは、処世術のようなものであり、
人としての生き方の問題ではない、のです。
例えば今、法律が変わって、
「駅のホームはどこででも煙草を吸っても良い」
ことになったとします。
もしこうなった時に、
多くの人はホームのどこででも煙草を吸いはじめると思います。
それは、法律に触れてはいませんが、
あくまで触れていないというだけのことです。
道徳とかマナーとか生き方とかの問題ではありません。
スポーツにおけるドーピング、
トップにいる人間たちが、
使うということを前提として、
バレないようにするにはどうしたらいいかということを考えています。
例えば、これまで甘かった大リーグでは次々明るみになっています。
バレなければ悪くない、見つからなければ良いというのは、
処世術の一種であって、生き方の問題ではないのです。
法律を決めているのも人間で、
それを決めた時点で、
例えばそれが資本主義経済の中で重要な法律だとしたら、
人間は、それの本道を守ろうとするのではなく、
いかに法律に触れないようにして儲けるか、
ギリギリのところを判断出来るか、
というのが、多くの人間の基本的な考え方だと思います。
時には実際に法律に触れるケースも多くあり、
そうやって逮捕されたり会社が潰れたりすることが
これだけニュースや報道で流されていたとしても、
「バレなければ良い」「バレないだろう」
という考えから、絶えず行われているわけです。
こういうことというのは、
例えば、今問題になっている、
というかこれを書くきっかけになっている今の問題にあるような、
遠い世界のこと、対岸の火事的なものではなく、
実は、多かれ少なかれ、大なり小なり、
結構身近で繰り広げられていることだと思います。
公であれ民であれ、職場に勤める、
また経営するという環境にあれば、
「自分はただ真面目に働いてきた」
と思っている人でも、
その人の周りでは、実はいろいろな血まな臭いことが
実際には起こっているわけで、
ニュースで報道される不祥事等というのは、
実は決して他人事ではない、わけです。
人間の本質が上記である以上、
不祥事や様々な問題というのは後を絶たないと思いますし、
歴史がそれを証明していると思います。
人間の抱えている根本的な性質、本質、
そこにはものすごく大きな問題があり、
まずそれを認識出来るのかどうか、
次に、認識してどうするのか、
ということになってきます。
結局は個人、
意志の力が必要だと、tek310はそう思っているところがあります。
なぜなら、アダムとイブの話ではないですが、
人間は人の影響を容易に受けやすく、
それが悪いことであったとしてもそうだからです。
でも、それを意志の力で断る、跳ね返す、
そうして生きるということは、
一見真っ当なように思えますが、
場合によって、時によって、
その意志の力、つまり己の力を過信することにもなり、
実は、意志を持たないことと同じくらい危ういことでもあります。
そういう形でも人間は失敗をするわけです。
だから宗教というものが存在する訳なのですが。。。
多くの不祥事を見ていて思うのは、
表層のことを追求することはされていても、
それが根本的に、本質的にどうなのかということは、
ジャーナリストの仕事ではないこともあり、
あまり触れられることはありません。
でも、そこに踏み込まないと、
そこに何があるかということを
これでもかというくらい深く考えないと、
解決することの出来る方策が生まれないのでは、
そう感じる最近です。
やっぱり長くなってしまいました。
裏同様、お話しする人がいないので、
独白した、ということです。
勝手な日記で恐縮ですが。。。
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