佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

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2010年12月16日 01時22分35秒 | 国際・政治
 
 国が(県が市が)弱っている時、
決まって強いリーダーを求める国民。
県民?市民? 
 
 
 怖いな。。。と。
 
 
 隣の国では全国挙げての避難訓練が。
その北では核開発の動き。
  
 
 より強い武器、カードを持つことが
国と国との”戦わないための”戦い。
 
 
 文化が、政治と離れた場所にある、
またそうあるべきだと思う最近。
実際は、音楽や美術や文学が、
右か左でいえば左の動きになるということが
ほとんどかと思うが、
何故そうなるかということを最近考えていた。
 
 
 音楽家は、音楽を愛し、尊敬し、
音楽に感謝の念を抱く。
そしてそれを作った作曲家、
演奏する演奏者にも同じく。
好みはあるとしても、
あらゆる国で音楽の営みが行われていて、
それはどれかが優れている、
と考える時代はもう終わっている。
クラシック音楽という狭い枠内でも、
昔から、あらゆる国の作曲者や演奏者が、
そうした営みの中で作品や演奏を遺してきて、
それらを紐解くには、その人やその国を知ること、
理解することが必須となる。
 
 
 そういう、耳を傾けるという作業がどういうことなのか。
また、そうして作られた作品への畏敬の念。
その作曲家を、その国をたとえ好きじゃなかったとしても、
音楽には嘘をつけないのが音楽家。
他者への理解や尊敬、畏敬無くして、
音楽の高みへ近づくことは出来ない。
 
 
 作曲者や演奏家がの多くが、
平和を願い作品を作ったり演奏したりしているが、
そういう想いや願いが音楽の光・輝きを増す反面、
それらの活動は、
例え平和を願うものであっても、
国と国とのやりとりとは一番遠い場所に在らねばならない。
そう、決して、それと同じ手段・手法をとってはならないわけで。 
 
  
 本来、相容れてはならない文化と政治。
そこに横たわる非現実的なものと現実との差。
このあまりにも大きな差を埋めようとすることが、
文化が政治に近づくことになり本来の在り方と離れ、
しかしお互いが相容れないことで、
お互いが関係し合わない、遠いものとしてしか在れない現実。
 
 
 この矛盾?を解決するためにはどうしたら良いのか。
音楽に関わる者にとっての大きな課題に、
取り組んでいかないといけないのかなと思う最近。
勿論、政治側からでなく、音楽の方から。
 


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