佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

辰吉丈一郎

2009年06月05日 22時57分12秒 | スポーツ
 
 見るべきじゃないなと思いつつ、
前回も今回も結局見てしまいました。
 
 
 辰吉丈一郎。
 
 
 書くべきじゃない気もするけど、少しだけ。
 
 
 金スマ見ながら、
難しい、何をどう書いたら良いのか、
どういう視点で書いたら良いのか、
一ボクシングファンとして考えながら見ていました。
 
 
 彼は国内のプロライセンスを剥奪され、
当然、以前のジムからのサポートも得られていない訳です。
でも、海外とはいえ試合が出来るということは、
彼のことをサポートする人がいるということですね。
そして現に、彼のファンがタイまで押しかけている。
 
 
 彼のことを周辺でサポートする人、
家族とかではなく、
試合を組むためにタイのプロモーターと関わっている人、
セコンドについている人、など直接サポートしている人達、
また、ファンとして彼を支援している人達、
一体、彼らはどういう思いで
今の彼を支援しているのだろうか、
そして彼らは、
ボクシングというものをどう思っているのだろうか、
聞きたくなりました。
 
 
 そもそも、タイでのあの2試合が
日本で放送されるということはどういうことなのか。
あの番組は、一体何をしたかったのか、
作った人に聞きたくなりました。
 
 
 あの番組を見ながら、
彼がとても人間的に魅力のある人で、
素敵な家族だということは
とても伝わってきていた訳で、
でも、だからといって、
今の現状が許されるのだろうかとも思う訳で。
 
 
 そう考えていると、
僕は彼のファンではなく、ボクシングのファンなので、
ボクシングを中心に考えないといけない、
そう思いました。
 
 
 彼のタイでの2試合を見て考えたこと。
率直に感じたことを書くと限りなくキツい文章になるので、
敢えて伏せて書くとするなら、
まず、戦い方が以前と全く変わっていないということ。
元々、ガードを上げてブロッキングで
相手のパンチをかわすタイプではなかったけれど、
今もってガードは常に低く、
ダッキングとか反応に頼ったパンチの避け方をしていました。
しかし残念ながら、彼は今までに被弾し過ぎていて、
相手のパンチに対する反応、そして耐久力が格段に落ち、
少しの被弾ですぐに窮地に立ってしまう状況でした。
これは、彼のタイ以前の試合でもそういう傾向がありました。
それがより増していた、という現実がありました。
 
 
 今日の2試合を見て、
「危険だ」と思った人は
実際にどれくらいいたのだろうかと思いました。
「彼の人生だ」「彼のやりたいように」
一見正しいかもしれません。
でも、彼は、プロの世界王座を目指しています。
つまり、プロモーターが関わって、
興行として試合がなされていて、
つまり、無料で試合が開催されている訳じゃないはずで、
お金を取った上で、プロとして試合の報酬を得ている訳です。
見に来ている人がいるのだから成立している、
タイでは認められている、
そうかもしれませんが、
だとすれば、タイの協会は、
プロボクシングというものを一体どう考えているのかと。
プロとは何か、ライセンスとは何か、
考えざるを得ないわけです。
 
 
 アメリカではヘビー級でフォワマンが
45歳で世界王座に戴冠したじゃないか、
自己責任だろう、
そういう意見もあるかもしれません。
でも、その試合を認可する、
それを認めるということが、
果たして”プロボクシング”にとってどういうことなのか、
どうしても考えざるを得ない訳です。
何でもそうだとは思いますが、
決して、プロボクシングの世界は、
その国一つだけで成り立っているものではないです。
ボクシングは喧嘩のようなものだと言う人もいますが、
それはあくまで「ボクシングのスタイル」であって、
れっきとしたスポーツです。
というか、ボクシングというスポーツは、
ちゃんとしたスポーツとして認められるためにはどうあるべきか、
それを考え続けないといけないスポーツなのです。
実際、日本のリングでも、リング禍で亡くなる人がいる訳で、
つい最近も、初心者ではなく、
れっきとした日本のプロランカーが亡くなった現実があります。
世界的にも、
「ボクシングは危険だ」という意見だけでなく、
「ボクシングは野蛮だ」という意見すらあるスポーツで、
「我が国でボクシングの試合を開催するべきではない」
「プロボクシングもアマチュアのように
ヘッドギヤをつけて戦うべきだ」
このような意見も少なからずあるわけです。
 
 
 プロボクシングというスポーツは、
それがプロスポーツとして行われるために、
どうあるべきかということを、
決して止めることなく、
考え続けないといけない立場にあるスポーツだと思います。
一つの国で行われることが、
プロボクシングというものにとってどういうことなのか、
何を背負っているものなのか、
彼やその他の選手の気持ちを中心に考えるのではなく、
プロボクシングというものを中心に考えないといけない、
そう強く思いました。
 
 
 繰り返しになりますが、
彼の人生は彼の人生であることは当然です。
しかし、
「生き方」とか
「かっこよさ」とか
「引き際」とか
そういうものとは、ちゃんと分けて考えないといけない、
そう思います。
ボクシングは、そのスポーツの特性上、
そういうものを重ねて見てしまいますし、
そういう見方をすることが、より感情移入出来る、
それは間違いないと思います。
 
 
 でも、それは副次的なものでしかありません。
彼のことを、辰吉丈一郎を知らない人も
この試合を見ているし、多く関わっている訳です。
大げさかもしれませんが、
プロボクシングというものがどうあるべきなのか、
やはり、それをいろいろな観点から、
もっと考えないといけない、
そんな気がしました。
プロボクシングがスポーツとして
この先成り立っていくために。
「俺には関係ない」「俺の生き方だ」
というボクサーも、彼の他にもいるかもしれませんが、
違うと思います。
一人一人のボクサーや、そのライセンスを認めた団体、
またボクシングに関わる全ての人が、
プロボクシングというものを背負っている、
それくらい考えていかないといけないことだと思います。
 
 
 結局一人で熱くなって書いていますが。。。(笑)
恥ずかしいですね。
異論反論もあるかもしれませんが、
金スマを見て思ったことを少し書きました。
 








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