佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

ディベート考~日本人に馴染みが無い理由を中心に~

2010年02月03日 02時13分52秒 | 日記・エッセイ・コラム
 
 研修でディベートをみっちりやったんです。
 
 
 やりながら色々なことを考えていました。
自分の足りないところを見つめる良い機会でしたね。
資料の理解力が足りないのは決定的というか、
決まった時間で行うには、僕の頭の回転力は足りません。
tek310は熟考型のため、頭が早く回る人が羨ましいです。
 
 
 まあそれは人より時間をかけて解決するとして、
発表の仕方ですね。
ディベートをする時に、そのやり方というか、
フォーマットのようなものに当てはめてやったんですが、
自分が文章を書いたり思考したりする時に、
このような枠組みがあると便利だなと思いました。
僕は、いろいろなことを考えたり、
根っこを捉まえるのは比較的出来るのですが、
それを整理して人に伝えることが苦手です。
伝える相手が良く知っている人なら、
時間がかかっても無駄があっても理解してもらえますが、
自分の仕事(指揮)を考えたとき、
初めて会う人に自分の考えを分かりやすく伝えるという作業は、
訓練しないと今の自分には出来ないなと痛感しました。
自分の中で枠組みを作って、何度もそこに当てはめ、
とにかく常に意識してそれを続ける、
その辺が必要だなと思いました。
 
 
 「技術」ですね、これは。
恐らくですが、どこへ行っても誰に対してもこれが通用する人が
プロなんだと思います。
指揮もそうですが、音楽に関して、
いまtek310は技術に飢えています。 
確固たるものを身につけたいです。 
「伝える」能力はそのうちの一つ。 
 
 
 こういうことを考えるのは、
自分が教育学部出身だからだなと感じます。 
音楽のプロでも、必ずしも教え上手ではないし、
大学の先生方の中にも、「伝える」ということについて
無頓着な方々が結構います。
授業の技術への無関心、でしょうか。
正しいことを話していれば良い、という感じの。。 
まあ人はともかく、自分は頑張りたいところです。 
 
 
 そしてディベートですが、
講師が言っていたように、確かに日本人は苦手です。
というかこういう回路は”無い”と言っていいと思います。
授業でやらないし、必要になる場所がそもそも無いですね。
社会に出て初めて必要性を感じる、でしょうか。
単一の民族であり、「推し量る」文化である日本では、
「こうやって伝える」というより
「こうやれば伝わる(だろう)」というニュアンスですね。
お互いにそれが出来るから、国内では不自由しませんが、
海外に行けば不自由が生じます。
 
 
 そこで先に書いたNHKの番組です。
「言語力」の不足や衰退についての内容の中、
サッカーの本田圭佑の例が出ていました。
研修のこともあり、またこの番組の内容もあり、
実を言うと、
「分かってるよそんなことは。
どうせ日本人はそういう力が足りないって」
と、海外に追いつけ追い越せ、戦え、というニュアンスに
若干辟易していたんですが、
この番組の最後の方、本田圭佑がオランダで
キャプテンになった時の様子を例に、
そういった能力にプラスして、
日本人らしい細やかな気遣いを加えて彼が成功した、
という流れに持っていってました。
 
 
 少しホッとしたというか、
日本人に欠けていること、
逆に備わっていること、
その両方を見つめないといかんと。
そういう意味で、番組を見終わって少しすっきりしました。
 
 
 それと多少関連しますが。。。
 
 
 国会のやりとりとか、
外交でのやりとりを報道で見るたび、
僕だけでなく、多くの人が、
違和感を感じることがあったのではと思うのですが、
それは、上記の場所で行われていることが
「議論」ではなく「討論」であるからなのだと思います。
日本人的に考えると、
議会というのは議論する場だと
多くの人が思っているのではと思うのですが、
そうではなく、
自分の意見を主張し、相手の意見を批判する、
そして○か×、多数決で決定する、
という流れなんですよね。
例えば、民主党の先日の事業仕分けを見て、
なんか腑に落ちないと感じた人も結構いると思うんですが、
それはあの場で行われていたのが「討論」であって、
議論とか話し合いの類いではないから、だと思いました。
こういう作業に「冷たさ」を感じるのは、
日本人に討論する、ディベートするという習慣が
全く欠けているからではと。
 
 
 で、これからの時代では、
こういう作業が行政でも必要になる、
反対する人を説得する技術、
主張するための技術が必要だ、と。
確かにそういう側面もあると、
講師の話を聞いていたんですが、
でも、
それよりも、
こういう討論という作業がクローズアップされると、
主張できない人達はどうなるんだろうと。
声を上げることすら出来ない人も世の中にはいて、
そういう人達が見捨てられず不利を被らないようにするには、
という視点が抜け落ちるのはどうなのか、、、
と、この研修と番組を通じて感じた次第です。
 
 
 確かに政治の世界や国際社会は、
自分の利益を主張して、相手をやりこめる、
そういう作業が必要になりますが、
そうでない場では、そうでない別の能力も
忘れてはいけないと思ったり。
 
 
 ただ、今の自分にとって、
必要な部分は感じました。
自分なりに整理して、身につけていかないとと思います。
 


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