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社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

一猿一芸をご覧じろ

2007年03月28日 09時10分24秒 | Weblog
お猿さんの特技それぞれ: 一猿一芸をご覧じろ
南大沢駅前の駅前広場に土日恒例のようにやって来る猿回しのが入る。
その口上によれば「反省猿」で有名な太郎次郎一門とのこと。
お猿さんと猿回しのお兄さん、お姉さんの組み合わせは日によって違う。
組み合わせは4組である。
お猿さんは年齢10歳ぐらいから生後1~2年の小猿までいる。
毎回15分前後の芸を披露し、午後から夕刻まで7~8回繰り返す。
お猿さんにもそれぞれ特技があってその特技をメイン演技として、その他をあわせて15分ぐらいをワンクールとしている。
特技のその1は2メートルぐらいの高さの竹馬に乗り、器用に歩く。但し自分では降りられなくお姉さんの助けがいるという口上に観客はどっと笑う。
その2は走り高跳びで自身の身長の3倍ぐらいをたいした助走もとらずに飛び越える。
着地の仕方も見事で衝撃を和らげる、あたかも柔道の受け身そっくりである。
その3はバイオリン弾きである。やたらと引きまくるのだが騒音にはならず、一応楽音に聞こえるのがミソである。もっともお猿さん自身はバイオリン弾きは苦手というか嫌いのようで、しばしば途中でバイオリンを放り出し、お兄さんに反抗したり叱られたり、その様子がまた観客の笑いをさそっている。
その4は走り幅跳びである。とても飛べないだろうと思える距離およそ4メートルの台間を飛びつく様で観客の大きい拍手をもらっている。
走り高跳びと幅跳びはオリンピック 出場の選手以上だと感心してしまう。

学会主催の小動物園

2007年03月26日 16時18分57秒 | Weblog
学会主催の臨時小動物園
近くの大学で日本動物学会が開かれ、その一環でペンギンが触れられるというミニ水族館(臨時)が「動物学ひろば」と称して開かれた。
折から幼稚園児の孫二人が来ていたので連れて行った。
沢山の子供が保護者に連れられて来ていた。
目玉はペンギンで入り口でお客さんを出迎えていた。
横浜の八景島シーパラダイスからの出張してきた由である。このペンギン君(嬢?)は生まれは八景島だそうだがルーツはケープペンギンの名が示すごとく、遙か南アフリカのケープタウンである。ひときわ小型で可愛いペンギンである。
建物内にはサメ、ウミガメやヒトデ、ナマコや宿カリ等が 水槽におり、それらは手で触れる。元気よくむんずと掴む子もいれば、おそるおそる手を出す子もいて、その様子を眺めるのも一興である。
その他人間の間近に生息している小動物がいろんな形で展示されていた。
XX学会主催などといわれると堅苦しいイメージだが この催しは小さいながら子供達が(大人も)動物への理解や愛情を育てるのに役立つと思った。
いろんな学会が存在するが、その学問領域に理解を得るにはこのようなイベントも有益だと思う。

ボンバルディア機に乗った

2007年03月22日 12時02分47秒 | Weblog
ボンバルディアー機に乗った
最近起こった高知空港での胴体着陸が事件発生後もニュース面を賑わせている。
過去にも似たようなトラブルが頻発しているとのことで、そのことがニュース面を賑わせている。
そんな時TV画面を見ていて、どうも見たような機体だと思っていたら、天草空港発熊本空港着の同機が車輪が出なく、手動操作で車輪を降ろしたとの報道が叉叉あった。
天草空港で思い出した。3年前友人数人と天草に遊んだことがある。福岡空港から天草空港の往復便に同機に乗ったわけである。
双発のプロペラ機で私としては珍しいと感じた事を覚えている。報道によるボンバルディアー機シリーズが日本のローカル線に導入されたのは4~5年前の事だという。
ということは福岡ー天草で我々が搭乗したのは導入ホヤホヤに時期であったのだろう。
その時は何らの不安も感じることなく、むしろ小型のプロペラ機に興味津々で搭乗したわけである。
聞けば同機は燃費もよく小回りがきくと云うことで方々のローカル線に採用されているようである。燃費が良いのはきょう日のエコ思想にマッチして結構であるが安全面もしっかり頼みますよ。

流人の島八丈に遊ぶ

2007年03月08日 14時09分57秒 | Weblog
流人の島、八丈島に遊ぶ
初春の一日、同学の仲間と八丈島に遊んだ。
八丈島といえば戦国時代から江戸時代、明治ひと桁期までの流刑地であったことはよく知られている。現在は一日4便の全日空機が飛んでいる観光地である。飛行時間は約40分であっという間に到着する。箱根・伊豆の観光地に行くよりも早い。
そんな島にたどり着いた一行7名はレンタカーを借りて島内ドライブにでかけた。
島の面積は東京山手線内側ぐらいとのことで島を一周するにはせいぜい3時間ぐらいか。島の人口は8千人ぐらいで車の通行も少なくスイスイである。
島内の観光名所、旧跡は数々あれど、やはり流人に関するものが多いが、案内書やパンフレットで紹介され尽くしているので、一つ一つ取り上げる気にはならないが、いささか感興を覚えたものだけを記しておきたい。
1)八丈島の地熱を利用した発電所は島内の電力需要の30%を賄っているそうである。
もともと火山島なので地中奥深くは煮えたぎっており、地熱量には事欠かないが、取り出すためには地殻構造に一定の要件があるそうで、この場所はそれを満たしているという事を係のお嬢さん?が誇らしげに説明してくれた。発電所の一部である風力発電用の大風車は高さ65米、ローター直径40米の偉容を誇っているが残念ながら目下故障中とのことで説明お嬢さんは申し訳なさそうな顔をした。
2)黄八丈染め元に入りお土産を物色するが、なにせ黄八丈は高いので有名である。
染め上げるのに半年もかけるそうで高いのもしょうがないかと納得する。
結局一番安い小銭入れを¥2000でゲット。気は心だと貰う側の言い分を唱えて安物買いを正当化する。
3)玉石垣はドライブのあちこちで見られた。これらの石は長い年月をかけて摩耗して丸くなったものである。流人達が海岸から運んで石組みをしたとのことで、その事実を知れば独特の景観もなにやら哀れを催す。
4)ふれあい牧場は八丈富士の裾野に広がった牧場で、あちこちに牛がのんびりと寝そべっている。ただ悲しい風景は風力発電機の風車(フランス製)の4基が無惨にも羽が千切れていたことである。どうやら耐風力の設計ミスのようである。牧場の電力の一部を賄う目的で設置されたようだが、これが折角のエコ思想に水を差さなければよいがと思う。
5)歴史民俗資料館は流人の歴史に興味があれば見逃せない。
流人の歴史のみならず島の自然、生活、産業等全般にわたっての資料、展示物が並べられている。建物はかっての村役場とのことで外観はまさに古色蒼然たるものであり、歴史民俗資料館の名前に相応しい。
目玉はやはり流人関係で流人第一号の宇喜多秀家から明治初期までに1800人が流された。その歴史事実が絵巻物風に展示してあり理解を助けてくれた。
6)宇喜多秀家と妻豪姫の碑は大潟浦海水浴場にある。秀家の故地岡山に向かって相並んで端座している。この地に83才で没するまでの50年間を過ごした秀家は故郷に向かって何を思ったか。

漢字が書けナーい!

2007年03月02日 13時48分01秒 | Weblog
漢字が書けなーい!
最近とみに漢字が書けなくなった。徐々に進行するボケの所為かと思ったりするのだが、どうやらそれだけではなさそうである。
最近といってもワープロ・パソコンを使い出して十数年、文章書きはほとんどワープロ・パソコンに頼っているので、自ら手書きのチャンスがうんと減ったのである。
しかしワープロを使う以上ワープロが提示してくれる漢字群から正しい目的の漢字を選択する必要がある。今までのところ、大体正しい字を選んでいると自信を持っている。
と云うことは書ける漢字は減ってきているものの漢字の選択力即ち読解力は落ちていないわけである(と思う)。
この読解力の元はどこから来たか?自問自答してみる。
小生、愚考するにそれは小、中及び高校の漢字書き取りの練習の賜物であると思う。
漢字の書き取りは苦手で、概して成績のよかった国語のマイナス点をこの書き取りで稼いでいたと思う。そんなわけでワープロの出現は小生にとっては福音でもあった。
ワープロ出現以前に漢字の書き取りで苦労した人達は、まあよしとしよう。
ところがである。これからは、いやとっくにそうなっていると思うのだが、文章書き=キボード打ちとなっている現在、キーボード世代に「書けなくても読める」漢字を如何に教えたらよいか?如何に自得したらよいのか?という疑問に突きわたるのである。
結局ワープロはワープロとして大いに使えばよい(そういう世の中だ)。しかし小、中学校では漢字の書き取りとその意味をしっかり教えるべきだと思う 。
さもないと当て字漢字だらけの奇妙きてれつな文章が氾濫するようになるのではなかろうか?何か妙案があればご教授願いたい。
このブログは最近の朝日新聞夕刊紙上、一橋大学安田助教授の(ITで「書く」から「打つ」世代増え「読める漢字」追認か?という寄稿文を読んでの感想である。

ウイキペディアを鵜呑みするなかれ

2007年02月24日 09時29分12秒 | Weblog
「ウイキペディア」を鵜呑みするなかれ
「ウイキペディア」はよくできたプロジェクトであると思う。手軽に即知りたいことが引き出せるので私もしばしば利用させてもらう。時たま項目が未記述の事もあるが。
市販の百科事典とはひと味違った趣があり、沢山の人達ボランティアの書き込みによって成り立っているので、文体も記述量の配分も型にはまっていないかもしれないが、私は特に違和感を感じたことはない。
本日2月23日朝日新聞朝刊に私にとって2重の意味で興味ある記事が出ていた。
ニューヨーク江木記者発。要約すると
米バーモント州の名門ミドルベリー大学の歴史学部でウイキペディアをテストやレポートに引用することを認めない措置を取った。そのわけは日本史の担当教授のテストで共通の間違いをしている学生が複数おり、その間違いというのはウイキペディア(英語版 )の「島原の乱」の項目において「イエズス会が反乱勢力を支援した」という記述にあると云うことが分かった。「当時イエスズ会が九州地方でおおっぴらに活動出来る状態ではなかった」のが史実であるので、学生がウイキペディアの記述をそのまま信じて答案を書いたものらしい。同教授は「調べごとの導入に使うことには異存はないが、学生は自らの提供する情報の正確さには責任を持つべきで、情報源の誤りの言い逃れは出来ない」として、同歴史学部は引用禁止を通知したという。ちなみに「島原の乱」をめぐるウイキペディア英語版の記述は直ぐに修正されたそうである。
私がこの記事に2重の意味で関心を持ったのは、一つは、つい先日のブログ記事で、卒論やレポートにWEB上からの盗用がが多く、大学の先生もこれに悩んでいると云う話を書いたばかりであったからである。似たような話だなと感じた次第である。
も一つは、3年前、同学の仲間と天草に遊び、天草キリシタンの遺跡、足跡をたどり、それ以後、キリシタンの事績に興味を抱いていた。そんなわけで、天草・島原キリシタンに関する本は小説仕立てや研究書を読んで来たが、たまたま同研究の労作「天草キリシタン史」(北野典夫著)を読んでいる最中に同朝日新聞記事に出くわしたわけである。
早速、同書上で「島原の乱」と「イエズス会」の関わりを 探したが「イエズス会」が「支援した」という記述は見いだせなかった。何となくホットとした次第である。
私もウイキペディアを引用する時も鵜呑みはやめよう。

我が悪夢の3パターン

2007年02月19日 11時29分57秒 | Weblog
我がナイトメアー(悪夢)の3パターン
夏目漱石の短編に「夢十夜」がある。漱石自身の見た夢?を 10夜に分けての話である。対して小生の夢は文学的香気のかけらもない情けないものである。
夢は3つのパターンで不定期に繰り返される。他の人にも似たような事があるのだろうか?かねて疑問には思っているのだが他人に聞き合わせたことはない。
如何なる夢か?
第一には期末試験で さっぱり解答が書けず立ち往生している夢である。どうやら大学時代の事のようで科目も数学とか電磁気学である。これらの科目はもともと苦手であったので夢ながらも納得である。
ハットと目が覚めて「あー、よかった、もはや学生ではない」と安心する。もっとも、この夢は最近は出てこないものの卒業後30年ぐらいは悩まされたと思う。
2番目には会社で一向に営業成績が上がらなく、同僚の手前恥ずかしい思いをしている夢である。目が覚めて「あー、俺はとっくにサラリーマンを卒業しているのだ」と思って胸をなで下ろすのである。この夢は若いときは頻繁に現れたが、段々に少なくなったものの今でも出てくる。
3番目の夢は、かなり現実感がある。
それはビジネス出張にしろ行楽にしろ旅先でお金がなくなり、帰るに帰れなく、これまた立ち往生している夢である。見た夢によってディテールは異なるが、お金が無くなったのは、飲み食いのし過ぎや滞在日数をだらだらと延ばし宿泊代が足りなくなったという、お決まりのパターンである。目が覚めて「あー、俺はいま家にいるんだ」とフーとため息をつく。
自身のだらしなさが夢に出てくるわけである。何とも忸怩たるものである。

もう一度勉強し直したい

2007年01月31日 11時30分19秒 | Weblog
もう一度勉強したい
1月31日朝日新聞多摩版に「卒業生の再入学 優遇制度を導入 東京農工大」という見出しの小記事が出ていた。
「社会に出たけれど、もう一度母校で学び直したい。東京農工大学は、こんな希望を持って研究生や科目等履修生として大学に戻る卒業生に対して、入学料無料、授業料半額の優遇制度を導入し、1月から募集を始めた」
「結婚して家庭に入ってるけれど、もう一度ブラッシュアップして再就職したい、定年後に時間ができ、最先端の技術を勉強し直したい」等の意欲に応え、学士の負担を軽減し、母校として応援するというものである。
小生はこの記事を読んで「ウーン」とうなった。農工大さん、なかなか、やりおるわいというのが実感であった。この大学は名前が地味な印象を与えるが、なかなかどうして産学共同研究の資金獲得や文部科学省の各種プロジェクトの採択数においても常に上位に健闘している。
それはともかくとして小生の回りのシニア連にも、もう一度勉強し直したいという希望を持っているものが結構いる。それで何かの資格でも取ってというわけではない。純粋に興味のある事に関係する学問に触れたいということである。
ちょっと視点を変えると、このような老書生がキャンパスに帰って来、真摯に勉強する姿は若者現役学生に 良い影響を与えるのは間違いないと小生は考えるのである。
小生に限っていえば、母校の売り物の専門課程には興味はないが、むしろ教養課程(いまはなくなった?)の科目(例えば語学、文化人類学等)に魅力を感じているので、農工大と同様なシステムを提供してくれるのなら是非にも再入学したいと思っているのだが・・

内視鏡検査大好き

2007年01月22日 12時39分32秒 | Weblog

先日大腸内視鏡検査を東京都がん検診センター(府中市)で受けた。
今回で3回目である。胃の内視鏡検査を十数回になる。近年は毎年ごとに受診し定時検査の感じである。
内視鏡検査(胃)の第1回は約40年前位に受けたのだが、その時は苦しかった。体は動かせないのだが、気持ちは七転八倒の思いであった。
今思えば、その時のカメラの撮像端の大きいこと(親指の大きさ)、ケーブルの太いこと。
確か今のようにビデオで映し出され患者が胃の内部を医師と同時に見るようにはなってなかったと記憶している。とにかく何がどうなっているのか分からないという不安も苦痛を増幅させていたのではなかろうか?
数十年経ち、今のように毎年のように定時検査を受けるようになったわけだが、その間の医学の進歩、この場合検査器具=カメラシステムの進歩には感心するわけである。
カメラも小さくなり(赤ん坊の小指ぐらい)、ケーブルも細く柔軟性がましているようである。
カメラが挿入される時もスイスイと入り 逐次内部がビデオに映し出される。この画面は医師と共有しているわけである。といっても医師から小さなポリープを指摘されて初めて「ああ、これがポリープか」と納得する。「ほんの1~2ミリの小さいポリープだから全然心配しなくて良い」という医師の説明でホットとする。
しかし今回は前回に比べて時間が長いと感じた。検査後の医師の説明「前回の検査で見つかった小さいポリープの部位に今回は見つからないので探すのに時間がかかった。どうやら大腸の襞に隠れているようだ、襞に隠れているぐらいだから、これも小さいのでまず心配入らない」とのことであった。
大腸の中味の次から次へと映し出される画像を見ているのは、何がなんだか分からないものの面白いと思った。
ともあれ検査は無事に終了したわけだが、むしろ苦しいのは検査前前日からの禁酒、節食と当日の下剤・腸洗浄液(約2リッター)の飲み干しである。
医学の進歩でこれが何とかならないかなー。

発明キッド達の声がはじける

2007年01月16日 11時28分36秒 | Weblog
発明キッドのはじける声
晴れた土曜日の午後、母校の電通大同窓会館に所用のため立ち寄った。
館内にはいると上階からはじけるような子供達の声がする。何事ならんと所用は後回しにして3階まで上ってみるとホール一杯に子供達が溢れている。
なにやら工作しているようだ。子供達の数人1組にOB(子供達から見るとおじいさんの年齢)が一人ついて見守っている。
子供達は小学生中級から中学生と見受けた。
この工作教室はUEC子供発明クラブ(調布少年少女発明クラブ)主催で特許庁委託モデル事業である由、れっきとした国家事業である。スローガンは「平成のエヂソン出でよ」である。クラブに参加する子供を募集すると定員50名?に対して応募数百名と数倍の倍率だそうである。抽選で決めるそうであるが、競争率からいえば大学入試より難しいとOB指導員の一人がいっていた。
元学長の有山先生も指導員の一人として汗を流しておられる由、脱帽。
可笑しかったのは(決して冷やかしているのではない)終了後の反省会・打ち合わせ会にキッズの一人が参加してなにやら意見を述べていた。思わずニヤリとした。
ともあれ、このキッドの中からエジソンが出れば楽しいな。