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社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

インクカートリッジが高い 何とかしてください

2006年02月01日 11時37分49秒 | Weblog
インク・カートリッジが高い 何とかしてください
プリンター用の使用済みインクカートリッジにインクを再注入した所謂リサイクルインクカートリッジが特許権侵害に当たるとして、キヤノンから提訴されていたリサイクル製品販売業を相手取っての販売差し止めを求めていた訴訟の判決が智財高裁から出された、と2月1日の新聞各紙が報じている。
この裁判は前回は地裁の判決ではキヤノンが敗訴になった経緯があり、キヤノンの控訴によって今回の高裁では勝訴になった。
地裁にしろ高裁にしろ判決に文句をつけるだけの法律知識を小生は持ち合わせていない。しかしプリンターを酷使する、従ってインクをかなり消費する者としていんくは安い方が有り難いのは云う迄もない。従ってリサイクル品を重宝して使っている。
純正品に対してリサイクル品の価格 は約6割程度なのでどうしてもリサイクル品に手が伸びる。
いま大手パソコンショップに行くと使用済みインクカートリッジ の回収箱が置いてある。中を覗くと溢れんばかりである。多分これらの使用済みカートリッジがリサイクル品になるのだろう。もしリサイクル品の販売が差し止められたら使用済みカートリッジはどうなるのだろう。純正品メーカーが引き取り、さらに産業廃棄物として廃棄物処理業者に引き渡され破砕されるのだろうか?
エコ思想と智財尊重思想とのせめぎ合いの感があるが、消費者としては安い方がよい。
プリンター本体を安くし、消耗品で儲けるというのも立派な営業戦略であると思うが、純正品ももう少し安くならんかいね、というのが正直な気持ちである。

人出に賑わう麻生不動ダルマ市

2006年01月29日 11時13分33秒 | Weblog
人出で賑わう麻生不動ダルマ市
小田急沿線に住む同学のOBが散歩会を作っている。1月28日小田急柿生駅近くの麻生不動院でダルマ市が立ち大変な賑わいだというので散歩会のメンバーの有志がウオーキングを兼ねて見学に行こうということになった。
同じ多摩地域に住んで40年も経つがこのだるま市の存在は不明にして知らなかった。
生来お祭り好きの小生はウオーキングをさぼってこのだるま市見学に参加した。
事前に大変な賑わいだと聞かされ、且つホームページ等で人出が約60万人との記事を見て、少し大袈裟だよと多寡を括って出向いたが、あに図らんや60万人は決してはったりではなかった。
狭い参道の両脇にお店がずらり並び往く人帰る人で身動きが取れない有様である。
これでは道の両脇の お店も商売にならないのではなかろうかと心配しながらも、人をかき分けかき分けしてようやく不動院の境内に辿り着いた。たかだか百メータ位を30分かかった感じである。
境内では本命のダルマ市が開かれておりダルマ屋さん達のかけ声が勢いよく響き、一個売れる毎に口火が切られる。(実際は火打ち石をカチカチと鳴らす)
ダルマの値段は一個500円の小型から数万円の子供の背丈ぐらいまである。
大型が売れれば一際かけ声も大きい。
不明にして知らなかったこの市であるが、知る人ぞ知るでこの人出を呼ぶのだから特にPRも必要ないのだろう。

城島とシアトルと私

2006年01月26日 11時39分08秒 | Weblog
今日の新聞によれば前ソフトバンクの城島が大リーグシアトルマリナーズに入団、ソフトバンク時代と同じ背番号2のユニフォームを着て笑っている写真がでていた。
他のポジションと違い捕手はピチャーとのコミュニケーションを円滑に運ぶために言葉の問題を心配する向きも多い。しかし城島の明るい性格と捕手技術でそれは何とかクリアするのではなかろうか?是非そうあって欲しいと思う。
シアトルは30余年前チョットだけ立ち寄ったことがあり、その時若い私に無銭飲食をさせてくれた優しい街である。
城島が大リーグ移籍先を決めるに際して夫人同伴で2-3の候補先本拠地を見て歩いたとき夫人はこのシアトルが一番気に入ったとのことで、それがシアトルを選ぶ決意を城島にさせたとの新聞報道があった。
私も良いチョイスだと思った。偉いぞ、奥さん。
ということで今年はイチローと城島と揃い(但し長谷川は引退とか)是が非でもセーフコ球場に行かねばなるまいと思っている。できたら松井のヤンキースがシアトルに来たときが最高だ。

シアトルでの無銭飲食の経緯はこのブログの昨年5月頃書いたのを念のため再掲する。

シアトル 無銭飲食の想い出
米国のメジャリーグが始まって2ヶ月になろうとしている。交流試合も始まった。
イチローは昨年後半からの好調を維持、気の早いファンは打率4割の期待をかけている。 そこでここ数年のごとく新聞やテレビでイチロー・ニュースを目にし、耳にしない日は無いが、私にとってはシアトルは格別の想い出のある街である。
30数年まえ、出張先のシカゴから帰国の途中、飛行機が遅れに遅れ、シアトルに一泊せざるを得ない羽目になった。
エア・ラインが用意してくれたホテルに落ち着いたものの、翌日の出発までには随分と時間がある。街の様子でも見物するかと通りにさまよい出た。確か通りの名前はユニオン街?といって近くに港があったと記憶している。
シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ球場でのゲームのTV中継を見ていると、長い貨物列車が通り過ぎるのを時々映し出している。
どうやらユニオン街はこの球場に近いのかなと勝手に想像しているのだが。
通りにさまよい出た私は、ふと買い物を思いついたので、目についた雑貨屋に飛び込んだ。買い物を済ませ、店の白人のおばさんにあることを聞いてみたのだ。それは西海岸には移民での日系人が多いと聞いていたので、単なる世間話のつもりで、この近所に日系人Japanese American)がいるかと聞いてみた。
親切で気さくそうな おばさん曰く、「いるいる、案内してあげる、ついてきなさい」と私を引っ張ってつい2~3軒先の[なんとか Tavern 」なる店に連れて行ってくれた。この店は日本で言えば一膳飯屋兼居酒屋とでも云うのだろうか。このTavernなる英単語を知ったのはこのときが初めてである。
店には主人とおぼしき日系人のオジサンとその娘さんとおぼしき女性がおり、雑貨屋のおばさんは「このヤング日本人の学生は留学が終わって、これから日本に帰るところで、日本人を恋しがっている、それで連れてきた、云云」と私を勝手に学生にし、私の気持ちまで代弁?してくれたのだ。日本人は一般に若く見られる事から来る好意ある誤解である。
店のメニュウを見ると日本食メニュウが並んでおり、その内の2~3を注文した。
シカゴから日本に帰るところ など、世間話をし、いざ数ドルの勘定を払おうとすると、受け取ってくれない。曰く「ドルは大事じゃけん、日本にもって帰えりんさい」と私にとって懐かしい訛りの返事である。多分中国地方からの移民であろうと思った。(当時1ドルは360円でドルは日本にとって大変貴重な資源であった)
どうやら雑貨店マダムの好意ある誤解の紹介を真に受けたらしい。
学生ではない、サラリーマンの米国出張の帰りだと説明するのだが、「いいから、いいから」というのみである。
ついに勘定を払い損なった私ははからずも無銭飲食をしたことになった。
それ以後シアトルには立ち寄る機会がなく今日に至っている。当時の場所、店はもはや無いだろうが、もう一度シアトルを訪ねてみたい。イチローでも見に行くかなあ~。

「シニアの7つの意識」 あるセミナーの話から

2006年01月20日 12時07分13秒 | Weblog
日本ベンチャー学会の一月度月例セミナーで「シニアビジネス最前線」(株)シニアコミュニケーション代表取締役山崎伸治氏の講演があった。
全体の話は日本及び世界主要国の高齢化社会の現状、今後の趨勢をふまえてシニアー・マーケットを如何に捉えるかというものである。
その中で、シニアーの意識について要約した話があり面白いと思ったのでここに紹介する。シニア層の意識には7つの特徴的なものがあるという。
以下7つの意識とその例
1.時間消費の意識
・お金をかけても有意義にその時間を消費したい
・ルーティンな家事などに時間を費やしたくない
2.循環型人生の意識
 ・新しく始めることに積極的で生涯学習・カルチャースクールが人気
 ・「父と母」から「夫婦」としての将来の長い時間の過ごし方についての見直しを行う
3.本物志向の意識
 ・「本当にそうだろうか」とまず疑ってみる
 ・自分の価値基準による評価を行う
 ・小手先の機能でなく本質的な価値提案を求める
4.横型のコミュニティ意識
・「老人会」は嫌だけど、近所の人達や趣味の仲間とは仲良し
 ・政治・経済や社会問題、地域活動に高い関心を持つ
5.安心志向の意識
・アクティブで元気だが、将来の健康には高い関心がある
 ・このままで楽しい老後を送れるだけの経済的余裕があるか不安である
 ・鍵一つで管理できるマンションに対して関心も高い
6.縁重視のの意識
・他者とつながっていたい
 ・友達を増やすためにイベントなどにも積極的に参加する
 ・孫との交流は無条件に楽しい
7.人生逆算(引き算)の意識
・認知年齢は1割~2割若い(注)自分自身に対しての
 ・「シルバー」、「中高年」等の年寄り扱いを拒絶する
 ・おしゃれに積極的

ベンチャーフェアーを覗く

2006年01月19日 11時44分27秒 | Weblog
ベンチャーフェアーを覗く
1月17日から19日に亘って東京国際フォーラムで行われたベンチャーフェアーJAPAN2006を覗いた。今年で8回目を迎える由。小生もなるべく毎回見学しているが今年は例年にまして盛況のようだ。景気回復をそのまま反映しているのだろう。
出展ベンチャー企業240社、行政系支援機関17が勢揃いしていた。
ぐるっと一回りしたが、ほとんど小生にとって馴染みのない企業ばかりであったが、展示品や提示されたアイディアの中には、ひょっとすると大化けするかなと素人眼から予感させるものがあった。
国も自治体もベンチャー育成には力を入れている。これだけの出展社から2つでも3つでも大化けが出て欲しいと思う。

江戸博物館 その2

2006年01月07日 13時06分35秒 | Weblog
江戸東京博物館にて その2
企画展「山内一豊とその妻」をじっくり見た後7階の常設展に行くことにした。
途中なにやら大きい銃声のような音が聞こえる。何事ならんと音のする場所とおぼしき階に下りてみる。そこでは侍装束の人達による火縄銃の発射実演を行っていたのだ。
解説者の話によると火縄銃は発射間隔が弾込めに最低でも30秒かかるそうである。
そこで発射陣は3段に別れ第一陣が発射している間、次陣が弾込めをする。これを繰り返すことにより発射間隔を縮め速射効果を得るそうだ。
それにしても随分と大きい音がするものである。同時発射の火縄銃は3丁なのだが。
実際の戦場で横一列の何十、何百人かの 銃隊が火ぶたを切るとものすごい音になるだろう事は容易に想像できる。
織田信長が鉄砲戦術で武田の騎馬武者を散々と打ち破った話は有名だが、馬達もこの銃声にはさど驚いたことだろう。
常設展示場では江戸時代から現在に至る風俗、建造物、商品等あらゆる代表的なものが展示されていた。
とても描写しつくせないので省略しよう。「百聞は一見にしかず」であろう。
その中で私にとって一番印象的な展示は前大戦の東京空襲の模様である。特に3月10日のそれで下町、山の手を問わず東京の大半が燃え上がった様子がよく分かった。
もう2度と戦争は止しましょう。

NTTグループEXPOを覗く

2005年12月23日 10時01分23秒 | Weblog
NTTグループEXPOを覗く
NTTが民営化20周年を記念してEXPOを開催しているというので覗いてみた。
過去未来にわたっての技術進歩の道筋をたどる展示が数多くされていたが、素人には展示の意味が掴めない物もあった。
むしろ感無量の気になったのは最初に展示してあった電話機の展示である。
グリグリとダイヤルを回す電話機を見て懐かしさに思わず受話器を手に取った。
そしてそのずしりとくる重さにビックリした。感無量の瞬間であった。
かってはこの重さの送受話器を耳に当てて話をしてたのである。 重さを意識することなくである。

鎌倉天園ハイキングコースは辛かった

2005年12月21日 15時55分10秒 | Weblog
天園ハイキングコースはきつかった
師走の20日我が大学のOBにして小田急沿線居住者のグループ、略してOERグループの有志10人は鎌倉建長寺を基点とし、瑞泉寺を終点とするハイキングコースに挑んだ。
同行の他は知らず小生にとってそれはまさに「挑んだ 」という表現が相応しい難コースである。エベレストやアルプスに挑戦したわけではない、「挑んだ 」とは大袈裟な、たかがハイキングコースではないかと云うなかれ。少なくとも小生には今まで参加したハイキングの中で一番苛酷なものであった。
300段近くあるという石段の登り、天園茶屋からの足を踏み外せば谷底に落ちそうな難路の下りをようやく瑞泉寺迄辿り着いた時にはホットとした。
途中でギブアップしようにも前途をパスする道はなく?我ながらよく頑張ったと思う。
さすが瑞泉寺では 登り石段をたどってのお参りをする気になれず一人ぽつんと皆の帰りを待つことにした。あとで話を聞くと吉田松陰先生の訪寺滞在の記念碑があった由。
そういえば確か松蔭先生の叔父さんが鎌倉のさるお寺の住職をしており、松蔭先生は旅の途次数回立ち寄ったということを読んだことがある。そのお寺がこの瑞泉寺と結びつかず横着をした報いを受けたわけである。我が郷党の大先覚者の足跡に触れる機会を失っての後悔先に立たずである。つい先日世田谷の松陰神社にお参りしたばかりだったのに。

ぶらりと松陰神社

2005年12月19日 16時56分44秒 | Weblog
ぶらりと松陰神社
このところ明治維新前後に関する本を読むことが多い。
そこで必ず登場するのが吉田松陰先生と高杉晋作を始め錚々たる弟子達である。
松蔭は我が郷里萩の生んだ大先覚者であり、我が母校明倫小学校では松蔭教室と名付けられた教室があり、その教室で担任の先生から週一回の講話を聞かされたものである。
今はもうその教室は無くなっていると思いこんでいたが、一坂太郎氏の著書によると現在もその教室で松蔭講話がされているとの記述をを読んでビックリした。
何でも郷土の特色を生かした教育が奨励されているとか。結構なことと思う。
そんなわけで天気の良い一日世田谷の松陰神社を訪ねてみることにした。
考えてみると松陰神社が世田谷線という路上電車線の沿線にあり、松陰神社なる駅もあると云うことも知っていながら大学入学後50有余年の東京暮らしの間一度もお参りしたことがなかった。特に交通不便なところにあるわけではないのだが。
長い間漠然とした忸怩たる思いがあったのだが、ともあれお参りしたことにより郷党の大先覚者に対する最低限の敬意は払ったと思うことにした。
時節はずれなのか参拝者の姿はほとんど無く静寂そのものであった。
奥まったところに松蔭先生やお弟子さんの何人かのお墓があり清楚なただずまいであった。
社域を出てふと見ると桂太郎の墓という標識があった。桂太郎も萩の出身で確か総理大臣も2、3度なった人だと記憶している。墓の説明札によれば何でも松蔭先生を崇敬すること厚くその墓の隣接地に自身の墓を持ってきた由である。(生前の指示か遺言か?)
これは私にとっては新しい発見であった。
注)一坂太郎氏:幕末歴史散歩東京編、同京阪神編、長州奇兵隊等の著作がある。
維新前後の埋もれていた歴史を掘り起こして、今まで知らなかったことを教えてくれる労作である。

頑張れ城島

2005年11月25日 11時05分42秒 | Weblog
がんばれ 城島
福岡ソフトバンクホークスの捕手城島がMBLシアトルマリナーズに入ることになった。彼の活躍を大いに期待する向きも多いが同時に或る危惧の念を表す人達もいる。
彼の捕手としての能力・実績については誰も疑問を抱かないだろう。一抹の不安を言う人は彼の英語力である。つまり捕手は投手とのコミュニケーションが大事で、その点外野手のイチローや松井はそのハンディはなく日本での実績と能力をそのままMBLで発揮している。さて城島は如何?というわけである。
ニューヨークタイムズはロッテのバレンタイン監督の談話として「英語力は大きな問題にならない」と予測している。
同紙はイチローや松井秀と比較して捕手の城島は彼等の倍以上の責任の重さがあるが、スペイン語圏からの出身捕手が言語の壁を乗り越えてきた実例があり、心配することはないという論調である。
確かに人生相談に乗るといった類の会話能力を必要とはしないだろう。野球という共通言語がありゲームの中での誤解は無いだろう。
唯一心配なのは投手とサインの不一致の時である。投手がベテランで実力者の場合で、どちらが歩み寄るかである。福岡ソフトバンクでは投手は城島を信頼し城島のサインに首を振ることは少なかったと思う。最初は投手に歩み寄り様子を見たらよい。
いずれにしてもシアトル・マリナーズを選んでくれたのに私は喜んでいる。
いつもイチローや松井のプレーを楽しんでいるのだが、城島の加入によって楽しみが1.5倍になるだろう。早く来年4月が来ないかナー。