6月2日、奈良薬師寺の前管主松久保秀胤氏によるボナノッテ講演会がイタリア文化会館で開催された。薬師寺は2003年の大講堂落慶の際、イタリア彫刻家チェッコ・ボナノッテの彫刻展『生命の劇場』を開催した。仏教の寺がキリスト教精神を背景としたイタリア人彫刻家の作品を展示するというのは画期的なことで、これを企画したのが松久保胤氏であった。
ところで、小生、『唯識』なる言葉も知らなかったのであるが、仏教の深層心理学のことのようだ。直訳すると「ただ、対象を認識する心だけ」ということになる。「物は心を離れて存在するのではなく、物を認識する心があるから、物があると思うだけ・・」という意味のようだが、理解不十分なので中途半端な解説はしない。
ただ、唯識を教義としている奈良薬師寺の管主自らがイタリア現代作家の彫刻作品のなかに、共鳴する精神を見出したというのは意味深い。キリスト教も、仏教も、イスラム教も、それぞれ違う教義の宗教であるのは当然だが、その精神には相通じるものがあるということなのだろう。こういうことを通して違う宗教や文化が触れ合うことの意味をあらためて考えさせられる。(山下)

長老松久保秀胤氏 ボナノッテ氏とバチカン美術館大扉映像
ところで、小生、『唯識』なる言葉も知らなかったのであるが、仏教の深層心理学のことのようだ。直訳すると「ただ、対象を認識する心だけ」ということになる。「物は心を離れて存在するのではなく、物を認識する心があるから、物があると思うだけ・・」という意味のようだが、理解不十分なので中途半端な解説はしない。
ただ、唯識を教義としている奈良薬師寺の管主自らがイタリア現代作家の彫刻作品のなかに、共鳴する精神を見出したというのは意味深い。キリスト教も、仏教も、イスラム教も、それぞれ違う教義の宗教であるのは当然だが、その精神には相通じるものがあるということなのだろう。こういうことを通して違う宗教や文化が触れ合うことの意味をあらためて考えさせられる。(山下)

長老松久保秀胤氏 ボナノッテ氏とバチカン美術館大扉映像