三浦逸雄氏の作品についてはこのブログにも何回か書いたが、作家にお会いしたことはなかった。東邦画廊の中岡吉典氏から今回の個展には本人が北海道から上京しているとのご連絡があり、会場でご紹介を受けた。年恰好は私と同世代、お人柄は想像したとおり物静かななかに芯を感じさせる、知的な雰囲気の人物であった。初対面というのに話も弾み、一献傾けようということになり、三浦氏の友人作家門坂流氏と3人で新橋で酌み交わした。
絵画鑑賞においては、作品さえよければ作家のことは知らなくていいと思う時期もあった。しかし、現代美術というものは同時代の芸術であり、作家がこの時代のなかで何を考え、どう生きているのか、その生きざまを見ることでもあり、作家の人となりを抜きに作品を語ることはできない。そういう意味で、三浦逸雄氏は、私がその作品に感じた精神性や力量を納得させる人物で、お会いできてよかった。
話題は三浦さんの若い頃の留学先スペインのこと、感動したヴェラスケスの『ラスメニーナス』のこと、故郷夕張のことなど尽きることなく、楽しい夜であった。(山下)

(右から二人目が三浦逸雄氏)
絵画鑑賞においては、作品さえよければ作家のことは知らなくていいと思う時期もあった。しかし、現代美術というものは同時代の芸術であり、作家がこの時代のなかで何を考え、どう生きているのか、その生きざまを見ることでもあり、作家の人となりを抜きに作品を語ることはできない。そういう意味で、三浦逸雄氏は、私がその作品に感じた精神性や力量を納得させる人物で、お会いできてよかった。
話題は三浦さんの若い頃の留学先スペインのこと、感動したヴェラスケスの『ラスメニーナス』のこと、故郷夕張のことなど尽きることなく、楽しい夜であった。(山下)

(右から二人目が三浦逸雄氏)