『ガンジー』(83)(1983.5.31.新宿スカラ座)
アインシュタインがガンジーについて言った「次の世代は、このような人間が生きて、この世に存在したとは信じられないのではあるまいか」という言葉が、胸に迫ってきた。何故なら、この映画を見終わって、浮かんだ思いは、まさしく「信じられない!」という驚きに他ならなかったのだから。果たして、人間はここまで強く優しく生きられるものなのだろうか、ここまで自らの信念を貫き通せるものなのだろうか…と。
もちろん、そんなガンジー像を、押しつけがましく、「こんなすごい人がいた!」風に見せられたのなら、ここまで彼のすごさを感じることはできなかっただろう。
つまり、監督のリチャード・アッテンボロー(『大脱走』(63)のビッグXがこんなすごい映画を撮ってしまうとは…)は、ガンジーの弱さや、政治家・指導者としてのずるさや嫌らしさも同時に描いており、神ではなく、あくまでも一人の人間としてガンジーを捉えているのである。
しかも、ガンジーの周りには常に何千、何万という群衆が描かれ、英雄ではなく、群衆の中のガンジーという視点で話が展開していく。そこには、この映画に20年もの歳月をかけてきたアッテンボローの執念や信念が感じられる。
加えて、ガンジーに扮したベン・キングスレーの演技が奇跡としか言いようがないほど素晴らしい。彼がこれまで無名の俳優だったこともあるが、何の違和感を持つこともなかった。
ガンジー役の候補に挙がっていたというロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマンが演じていたら、それは芸達者な彼らのことだから、それなりにうまい演技は見せただろうが、キングスレーが出した味を、彼らが出すのは無理だったに違いない。
そんなこんなの様々な要素が絡み合って、まれに見る伝記映画が出来上がったわけだが、かつてインドを支配したイギリスが、自国の恥をさらしてまで、インドの英雄を描いた皮肉も面白いが、欧米の俳優たちを尻目に、インドの俳優たち(特にガンジーの妻役のロヒニ・ハタンガディとネール役のロシャン・セス)が際立って見えた皮肉もまた面白かった。そう言えば、『アラビアのロレンス』(62)の時も、エジプト人のオマー・シャリフが際立っていたなあ。
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