田中雄二の「映画の王様」

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『病院坂の首縊りの家』

2020-06-15 07:16:54 | 映画いろいろ

『病院坂の首縊りの家』(79)(1990.2.6.)

 廃屋となった屋敷で、美しい娘の婚礼写真を撮影したという写真屋の依頼で、金田一耕助(石坂浩二)は現場に赴くが、そこで発見したのは男の生首だった。金田一は、事件の背後にある、病院の持ち主だった法眼家の複雑な人間関係と悲劇を知っていく。

 先日、『女王蜂』(78)を再見した際に、市川崑の金田一耕助に対する収拾の付け方が気になった。そして、シリーズ最終作となったこの映画のラストで、特別出演の原作者・横溝正史に「古いものは壊れ、その中から新しいものが生まれる」と言わせているのだから、これは明らかに市川の金田一シリーズへの決別宣言だろう。

 ところで、横溝原作に共通する、複雑怪奇な人間関係、猟奇的な連続殺人、その一つも阻止できない金田一、犯人の哀れ、といった整理不能とも思える題材を、2時間余りにそれなりにまとめ、そこにユーモアすら交えて見せてしまう市川の手腕は並大抵のものではないと思う。

 そして、このシリーズを撮りながら、実はさまざまな実験を試み、それを糧として、その後のジャンルを問わない映画作りに生かしていったところは、さすがにしたたかである。

 『つる -鶴-』(88)以来、新作がないが、ここ数年、いかに市川崑といえども、撮り過ぎた感はあったので、ここは一休みして、また新作を撮ってもらいたいと思う。

 ところで、このシリーズの魅力の一つに、ジャズ畑の作曲家たちの存在がある。『犬神家の一族』(76)の大野雄二、『悪魔の手毬唄』(77)の村井邦彦、そして『獄門島』(77)からこの映画までの田辺信一という布陣。

 一見、不釣り合いにも思える懐古的な映像とこれらの音楽が見事な相乗効果を生み出していた。このあたりにも市川崑のセンスの良さがうかがえるのだ。

市川崑は文芸映画の監督でもあった
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1c70eff55ee456f1dbeebf39ec5e6913

『犬神家の一族』(06)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3033ad2cec53eb56caddd62e47b2c6fc

『悪魔の手毬唄』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ec9fb83472c55e021cdef8deab2dde79

『獄門島』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/eb3c5f7a42c20f26773af1eda96edeb7


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