市川崑は実験精神にあふれた多作の映画監督だったが、実はモダンな文芸映画の監督でもあった。例えば、日活時代には、夏目漱石の原作を一種の心理劇として映画化した『こころ』(55)と、竹山道雄の児童小説を叙情的に描いた『ビルマの竪琴』(56)がある。
三島由紀夫の「金閣寺」を基にした『炎上』(58)、大岡昇平原作の戦記映画『野火』(59)、谷崎潤一郎の原作をブラックユーモア作とした『鍵』(59)、大正末期を再現した幸田文の『おとうと』(60)は、それぞれ大映時代に撮った傑作。他にも山崎豊子原作の『ぼんち』(60)、島崎藤村原作の『破戒』(62)がある。ここらあたりは、妻で脚本家の和田夏十の力も大きかったのだろう。
アガサ・クリスティをもじった、久里子亭(クリステイ)のペンネームで脚本も書いた横溝正史原作の『犬神家の一族』(76)以降の金田一耕助シリーズ(『悪魔の手毬唄』(77)『獄門島』(77)『女王蜂』(78)『病院坂の首縊りの家』(79))も、見方によっては立派な文芸映画だと思う。山口百恵の引退作となった川端康成原作の『古都』(80)や、谷崎潤一郎原作の『細雪』(83)は美しい映画だった。山本周五郎の「町奉行日記」を基にした『どら平太』(00)や、『かあちゃん』(01)といった時代劇もある。
また、エド・マクベインの87分署シリーズの「クレアが死んでいる」を映画化した『幸福』(81)は、『おとうと』以来の“銀残し”が効果的な、隠れた名作だと思う。
晩年は、周五郎原作の「その木戸を通って」(95)、志賀直哉原作の「赤西蠣太」(99)や、松本清張原作の「逃亡」(02)といったテレビドラマに佳作が多かった気がする。
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