田中雄二の「映画の王様」

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『犬神家の一族』(06)

2019-08-12 09:37:56 | 映画いろいろ
『犬神家の一族』(06)(2006.11.15.東宝試写室)


 監督市川崑、金田一耕助役は石坂浩二という30年前と同じコンビで『犬神家の一族』(76)がリメークされたが、何故今さらという感はぬぐえない。市川崑はかつて『ビルマの竪琴』(56)もリメーク(85)したが、あの場合はモノクロで撮られ、現地ロケもままならなかった旧作への思いの強さという点で理解できなくはなかった。だが今回のリメークにはそうした思いも感じられない。90歳を過ぎても現役監督というのはすごいことなのだが、それとこれとは別問題だ。かつての金田一シリーズ5作はいずれも名作で、特に最終作となった『病院坂の首縊りの家』(79)には市川崑と石坂浩二のシリーズに決別する思いが込められていたはずだ。
 
 ところで、偶然だが旧シリーズの『獄門島』(77)のサントラを聴いた。作曲はシリーズ後半の3作を手がけた田辺信一(惜しくも先年亡くなったとのこと)。ジャズやボサノバやスキャットを巧みに取り入れた面白い音楽だが、やはり70年代の懐かしい音という印象。つまり映画も音楽も生ものだからやはり作られた時代が旬なのだ。
 
 と言いながら、30年ぶりにリメークされた『犬神家の一族』を試写。市川崑が何故いまさらこの作品をセルフリメーク(それもオリジナルと寸分違わぬ)したのか、という疑問が拭えぬままの試写となったが、見ているうちに、これは歌舞伎や落語といった古典芸能を観る感覚と同じなのだと気づいた。つまりストーリーの展開を楽しむのではなく、同じ話を違った俳優が時代を超えて演じるところに市川崑は面白さを見出したのかもしれないということ。
 
 ただし誰もオリジナルの演者を超えてはいない。特に核となるべき富司純子、松嶋菜々子、深田恭子が明かなミスキャストで、いまさらながら高峰三枝子の貫禄や存在感の大きさを知らされた。また同じ役をやった石坂浩二の金田一耕助も加藤武の等々力警部も老いが目立って淋しくなるばかり。加えて全体の画調が妙に明るくなってオリジナルが持っていたおどろおどろしさや情感が薄くなり軽い印象を抱かされる。変わらぬ良さを感じさせてくれたのは大野雄二のテーマ曲のみ。オリジナルを知らない者もこれを傑作とは思えないはずだ。やはり撮るべきではなかったという思いが強くした。
 
角川映画

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