『ミュンヘン』(05)(2006.2.20.品川プリンスシネマ)
トリノ・オリンピックの中継や『ガーダ パレスチナの詩』(05)を見ながら公開中のスティーブン・スピルバーグ監督作『ミュンヘン』のことが気になった。
1972年のミュンヘン・オリンピック開催中に起きたパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手への襲撃事件と、それに報復するために組織された暗殺団の動静が今出てくるのはあまりにもタイミングが良過ぎはしないかと思ったのだ。
ユダヤの血を引き、かつて被害者の側から描いた『シンドラーのリスト』(93)を撮ったスピルバーグが、果たしてこの事件をどう描いたのか。イスラエルの正当性を一方的に主張したものなのか。見る前は正直なところ政治的な強いメッセージが発せられるのでは、と少々危惧していた。
ところが、銃撃戦をはじめ、すさまじいリアリズムで描写される暴力=報復の連鎖の果てに、正邪は描かれず、空しさだけがつのる映画に仕上げていた。
その結果、『シンドラーのリスト』とこの映画を対で見ると、例えば、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』にも似た広がりを感じることができ、被害者も加害者もない国家や民族対立の根深さや複雑さが浮き彫りになる。
むしろスピルバーグの恐ろしさは、こうした題材を扱いながらも映画本来の娯楽としての面白さを決して失わないところだろう。
例えば、今回は1970年代を描いたためか、暗殺団が標的を追い詰めていくサスペンスの盛り上がりは『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)、リーダー(エリック・バナ)が精神的に疲れ、爆弾の在処を狂的に捜す様は『カンバセーション-盗聴』(74)と、あの頃のフランシス・フォード・コッポラの映画を筆頭に、70年代のアクション、政治サスペンス映画を手本にしたような描写でこの重苦しい題材を一気に見せ切る。
おまけに、暗殺団がめぐる各国のロケが効果的で、ロードムービーの趣すらあるのだ。このスピルバーグの力業を政治的なプロパガンダととらえるか、単純に一本のよくできた映画として見るかでこの映画に対する評価は大きく分かれると思う。