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映画の王様

映画のことなら何でも書く

『レミは生きている』(平野威馬雄)

2024-02-14 07:28:19 | ブックレビュー

(1993.12.17.)

 折よく再版されたこの本を読むと、人種差別は日本にも歴然と根強く存在すると、改めて感じさせられた。この人がなぜ日本の伝統文化や才人たちのことを好んで書いたのか。その答えは、自身のハーフという生い立ちによる屈折からだったのだ。つまり、自分は“純粋日本人”を名乗る差別集団よりも遥かに日本人であり、日本を理解していることを誇示するための、切ない反乱だったことが、この本に切々と描かれている。

 例えば、山田洋次の『学校』(93)でも描かれたように、アジア人を差別し、欧米人にはへつらう嫌らしさはいまだに残っている。結局、フィリップ・カウフマンの『ライジング・サン』(93)を、差別だ蔑視だと言い切れない苦さの根も、日本人のこうした意識の痛いところの一端をつかれたからなのかもしれない。

【今の一言】平野威馬雄のほとんどの本の装丁は、娘婿の和田誠が手掛けている。

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『貴人のティータイム』『平賀源内の生涯』『くまぐす外伝』『ファーブルの生涯』(平野威馬雄)

2024-02-14 07:07:41 | ブックレビュー

 

(1993.12.2.)

 平野威馬雄の本を探しているのだが、なかなか見つからない。そんな中、『貴人のティータイム』なる対談本を発見。これを読むとフランス文学者、翻訳家、詩人、作家、UFOやお化けの研究家といったさまざまな顔がありながら、かつてはコカイン中毒者であり、混血児としての屈折した生い立ちの持ち主でもあることも分かる。彼は今はやりのマルチタレントの先駆けだったのだ。存在が大き過ぎる。この本をイントロとして平野威馬雄の世界に入ってしまったことは果たしてよかったのか…。

 ちくま文庫で平野威馬雄の著書を3冊発見。平賀源内、南方熊楠、アンリ・ファーブルの評伝だ。彼らもある意味マルチタレント。枠外の人なれば枠外の人を知るといったところか。まずは『平賀源内の生涯』を読了。平易な文章が好ましく、その昔の源内が主役のドラマ「天下御免」を思い出し、改めて源内という人物の奥深さを知らされた思いがした。この後、大冊『くまぐす外伝』『ファーブルの生涯』を読む予定。まだ見つからないUFOやお化けの本も読んでみたい。

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『ド・レミの歌』(平野レミ)

2024-02-13 21:07:34 | ブックレビュー

 昨日のNHKは、料理にドキュメンタリーにと、まさに平野レミデーだった。そんな中で思い出した本がある。

『ド・レミの歌』(平野レミ)(1993.11.18.)

 これまで、平野レミ=和田誠夫人というのが、どうにもイメージに合わなかったのだが、先日NHkスペシャルで放送された彼女の家系のルーツを探る「北米人武威と署名した男」は中々興味深い内容だった。

 加えて、最近彼女の父である平野威馬雄という作家にも興味を持ち始め、彼の著書を探してみたものの中々見つからないもので、その代わりと言ってはなんだが、彼女の著書である『ド・レミの歌』を読んでみた。

 自由奔放に育った少女時代から、シャンソン歌手、ラジオパーソナリティとして活躍した青春時代、和田誠と出会って1週間で結婚し、3年後に長男を出産する新婚時代までを自由闊達に綴っているのだが、何とこれがある種天才的な表現力を示した大傑作だった。

 というわけで、彼女に対するイメージがすっかり変わり、今や和田家は憧れの対象になってしまった。いつか嫁さんをもらったら、記念にこの本を進呈しようかな。

【今の一言】などと30年前に書いていたが、いまだに妻には渡していない。そんなことはつゆ知らず、レミさんの料理のファンである妻は、今レミパンを愛用している。

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東京人2024年3月号 特集「どっぷり、落語! 落語協会創立100年」

2024-02-03 09:23:56 | ブックレビュー

 2月25日に落語協会が創立100年を迎える。大正12年の関東大震災で多くの寄席が焼失し、ばらばらで活動していた東京の落語家たちは結束し、翌年に落語協会が設立された。寄席、ラジオ、テレビと噺家たちの活躍の場が広がる中、時代の名人たちの「芸」に多くの演芸ファンが「笑い」「泣き」してきた。落語界の100年をリードした噺家たちを紹介する。

 また寄席に行きたくなるような内容だったが、たまにいい特集を組むこの雑誌も紙質が落ち、ペラペラな感じになっていた。大丈夫か? 廃刊になる雑誌が多いので、ちょっと心配になった。

 

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『地中の星 東京初の地下鉄走る』(門井慶喜)

2024-01-31 22:59:32 | ブックレビュー

 資金も経験もゼロ。夢だけを抱いてロンドンから帰国した早川徳次(のりつぐ)は、誰もが不可能だと嘲笑した地下鉄計画をスタートさせ、財界の大物と技術者たちの協力を取り付けていく。だがそこに東急王国の五島慶太が立ちはだかる。 

 “地下鉄の父”と呼ばれる早川徳次と実際に工事を担った無名の男たち、そしてライバルの五島慶太を絡めながら、銀座線の前身に当たる日本初の地下鉄工事の様子を描く。

 大変興味深い内容なのだが、思いの外、読むのに時間が掛かった。

それは、例えば、

経営者仲間のうちには、
―地下の早川、地上の五島。
とならび称する者もいるし、あるいはまた、
―東の早川、西の五島。
と見る者もいる。

のように、やたらと改行が多く、改行後に―を使ってむやみに強調してみたり、

翌日から、一般向け営業開始。
(どうかな)
徳次は、じつは危惧していた。

のように、心の声を()で入れるたりするから、集中できず、とても読みにくかったのだ。この人は『銀河鉄道の父』でも同じような文体だった。目の付け所がよく話も面白いのに、残念な気がする。


 銀座駅に早川の銅像がある。また、荒俣宏原作、実相寺昭雄監督の『帝都物語』(88)では、宍戸錠が早川を演じていた。

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『ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗)

2024-01-30 22:51:22 | ブックレビュー

 朝ドラ「ブギウギ」の原案本で、著者は笠置シヅ子と同郷のライター砂古口早苗氏。笠置について初めて書かれた評伝だという。

 笠置への強い思い入れをにじませながら、さまざまに人に取材し、いろいろな参考文献に当たって、実によく調べて書かれている。特に服部良一やエノケン、美空ひばりとのくだりは、教えられることも多く、興味深く読むことができた。それだけに時折人名に誤植があったのが残念。自分も気を付けなければと自戒させられた。

 歴史ドラマもそうだが、こうした評伝も、誰の側や立場から見るかで全く違うものになる。そこに筆者の主観が入るからだ。例えば、著者は竹中労の『美空ひばり』での笠置に関する記述に疑問を呈しているが、それはあくまでも笠置の側から見れば…ということになる。もとより、さまざまな登場人物に対して八方美人では評伝は書けないから、人物の描写の仕方やバランスが大事になるのだ。

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『ハリウッド映画の終焉』(宇野維正)

2023-12-24 21:10:15 | ブックレビュー

『ハリウッド映画の終焉』(宇野維正)

 配信プラットフォームの普及、コロナ禍の余波、北米文化の世界的な影響力の低下などが重なって、製作本数も観客動員数も減少が止まらない。メジャースタジオは、人気シリーズ作品への依存度をますます高めていて、オリジナル脚本や監督主導の作品は足場を失いつつある。「ハリウッド映画は、このまま歴史的役割を終えることになるのか?」をテーマに、16本の映画から読み解く。

 うなずけるところとそうではないと思うところが混在するが、教えられることも多々あり、好奇心を刺激された。()は自分が付けた見出し。

第一章 #MeToo とキャンセルカルチャーの余波
『プロミシング・ヤング・ウーマン』─復讐の天使が教えてくれること
(男性には考えつかないようなユニークな視点で描かれた)
『ラストナイト・イン・ソーホー』─男性監督が向き合う困難 
(懐かしさと新しさが混在する摩訶不思議な世界が現出する)
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』─作品の豊かさと批評の貧しさ 
(カンバーバッチが、複雑なアメリカの西部男を演じた)
『カモン カモン』─次世代に託された対話の可能性
(裏の主役はジェシーの母)

第二章 スーパーヒーロー映画がもたらした荒廃
『ブラック・ウィドウ』─マーベル映画の「過去」の清算 
(スカーレット・ヨハンソンの決着の付け方)
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』─寡占化の果てにあるもの 
(スパイダーマンシリーズ全体を総括する)
『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』─扇動されたファンダム 
(やっと役者がそろった)
『ピースメイカー』─疎外された白人中年男性に寄り添うこと

第三章 「最後の映画」を撮る監督たち
『フェイブルマンズ』─映画という「危険物」取扱者としての自画像 
(好きなもの、熱中できるものを見つけることが大切と説く)
『Mank/マンク』─デヴィッド・フィンチャーのハリウッドへの決別宣言
(Netflix、悲願の作品賞初受賞なるか)
『リコリス・ピザ』─ノスタルジーに隠された最後の抵抗 
(ディテールに注目するのも、P.T.A映画の楽しみ方の一つ)
『トップガン マーヴェリック』─最後の映画スターによる最後のスター映画
(“生きること”を強調したところに、この映画の真骨頂がある)

第四章 映画の向こう側へ
『TENET テネット』─クリストファー・ノーランが仕掛けた映画の救済劇 
(時間を逆行させて、もう一度最初から見たくなる)
『DUNE/デューン 砂の惑星』─砂漠からの映画のリスタート 
(久しぶりに映画館で見ることが必須だと感じた映画)
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』─2010年代なんて存在しなかった?
(果たして3D映画に未来はあるのか)
『TAR/ター』─観客を挑発し続けること
(俳優の個性で見せる映画)

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『武士(おとこ)の紋章』(池波正太郎)

2023-10-02 08:32:31 | ブックレビュー

 連続テレビ小説「らんまん」で知った植物学者の牧野富太郎の生涯について書いた池波正太郎の短編小説(随筆)を見付けた。

 タイトルは『武士の紋章』(新潮文庫)で、「男と生まれたからには、こういう風に生きてみたい。志を貫いた武士達の魂を描く物語」と説明がある。黒田如水、滝川三九郎、真田信之、真田幸村、堀部安兵衛、永倉新八に加えて、なぜか大相撲の元大関・三根山と富太郎が入っている。

 もちろん興味があったのは富太郎の部分。何でも池波は新国劇の舞台の脚本を書くため、実際に最晩年の富太郎に取材し、この一文はそれを基に書かれたものだという。

 読んでみると、「らんまん」の脚本を書いた長田育恵もこの一文を読んだのでは?と思えるほど、富太郎と壽恵子の生涯を見事に要約して書いていた。ドラマで奥田瑛二が演じた印刷屋の親方をはじめ、富太郎とドラマのモデルになった人々との関りについても詳しく知ることができた。

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『王の闇』(沢木耕太郎)

2023-06-24 09:18:31 | ブックレビュー

『王の闇』(沢木耕太郎)(1989.8.)

 沢木耕太郎は寡作の人である。それ故、出来上がった作品は、完成までに何年越しかの年月を要しており、そのどれもが内容が濃く、生半可な仕事ではなかったことを想像させる。

 中でも、『敗れざる者たち』に始まるスポーツノンフィクションの作品群は、彼独特の思い入れの強さ、突っ込みの深さが読む者を圧倒する。「ここまで相手に感情移入しなくてもいいのに」と思うほど、対象者の内面の奥の部分まで掘り下げるものだから、読む側を引き込む力強さがあったのだ。

 ところが、この久々のスポーツノンフィクション集は、これまでの沢木の作品に比べると意外にもさらっとしている印象を受けた。何やら作風が落ち着いて、対象者に対してもドライな感じがした。これはかなりショックな読後感であった。

 往年の“沢木節”を思い起こさせるのは、『敗れざる者たち』の「ドランカー<酔いどれ>」における輪島功一のその後を描いた「コホーネス<肝っ玉>」と、ジョー・フレージャーとモハメド・アリを交差させた「王であれ道化であれ」の2編にとどまる。

 これは、もはや沢木の血を熱くさせるような男たちがいなくなってしまった時代の流れの性なのか、それとも沢木自身が変容した結果なのだろうか。

【今の一言】このあたりから、自分は沢木耕太郎から離れていったんだと思う。

 

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『一瞬の夏』(沢木耕太郎)

2023-06-22 16:33:48 | ブックレビュー

沢木耕太郎原作のボクシング映画『春に散る』を試写で見て、この本のことを思い出した。

『一瞬の夏』(沢木耕太郎)(1981.8.5.)

 最初に、この本の新聞広告を見た時は、正直言って驚いた。あのカシアス内藤がまだボクシングをやっていた。輪島功一や柳済斗と闘っていた彼が…。

 内藤を描いた沢木耕太郎の『敗れざる者たち』「クレイになれなかった男」を最初に読んだのは高校1年の頃だった。当時、輪島対柳のボクシング史に残るような試合を見て、ボクシングにただのスポーツ以上のドラマを感じて、試合のみならず、選手の内面についても知りたいと思い始めた自分にとって、このルポルタージュは時宜を得ていた。

 カシアス内藤という混血のボクサーがいたことは知っていたし、急に表舞台から消えてしまった彼が、今どうしているのかという興味も湧いた。

 ここでは、内藤が柳に敗れる釜山での試合までの、沢木による密着ルポが書かれているのだが、結論は出ていなかった。結局、内藤は「いつかは翔びたい」という、そのいつかを求めてさまよい続けていたし、沢木もそんな内藤に、何か妙に引っ掛かるものを感じたまま、終わっていたからである。

 とはいえ、それは5年も前の話だ。ところが、その「いつか」に決着をつけるために書かれたような、この『一瞬の夏』のことを知ったのである。内藤はその後もボクシングを引きずり、沢木も内藤に対する思いを引きずっていたのだ。

 この物語は、30歳間近になった内藤がカムバックする、という新聞記事から始まる。一体内藤の中で何が起こったのか…。読み進めるうちに、内藤がリングに未練を残し、ボクサーにとっての肉体の限界といわれる30歳までに燃えてみたいという思いから、再起を図り出したことが分かってくる。

 そして、なぜか内藤にこだわっていた沢木も、老トレーナーのエディ・タウンゼントも、内藤の闘いに自らの夢を託し始める。日本、東洋、世界…、考えればとても遠く険しい道なのに、読んでいる自分も「ひょっとしたら」「ひょっとするかも」などと思い始めた。いつかは翔びたい、燃えつきたいと思いながらできないでいる自分自身の姿を重ね合わせながら、自分も内藤に、このルポルタージュに夢を託したのかもしれない。

 内藤の再起第一戦の相手の大戸健がつぶやく「こんなままじゃ、やめるわけにはいかねえよ、まったく。…そうでしょ?」「どうしたらやめられる?」「そうだね…思う存分やって…やれたと思ったら…やめたいね」という一言が、このルポの全てを言い当てているのかもしれない。

 人間、誰しも夢がある。だが、その夢にのめり込み過ぎて、気が付いた時にはにっちもさっちもいかなくなっている。内藤もエディも大戸も皆そうである。やめてしまえば楽になるのかもしれない。けれども…。沢木が内藤のことが気になったのも、ここのところなのではないか。だから、一人ぐらい夢を成就させるやつがいてもいいじゃないか。そんな思いから内藤に協力したのだろう。

 だが、結局内藤は朴鍾八との東洋太平洋タイトルマッチにKO負けし、全ては終わる。果たして内藤はリングに未練を残すことなく今後の人生を送っていけるのだろうか、沢木は内藤を引きずらずに、新たなものを書いていけるのだろうか。またも結論は出ていない。

【今の一言】約40年前に書いたもの。未読だが、恐らく『春に散る』は、ここで沢木が体験したことを基に、小説として書かれたのではないかと思う。あの頃に比べれば、自分にとっての沢木耕太郎は遠い存在になっているが、読んでみるかな。

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