段々と忘れ去られてしまいそうだから言わせてもらう。
風力発電の技術も既に世界に通用するレベルにある、太陽電池の性能も技術もずーと前から世界一、世界一の工場も宮崎にある、地熱発電の世界最大のプラントも日本企業がニュージーランドに造っている、火山帯に乗っかっている国々は次々と地熱発電に力を入れています、原子力開発に無駄に注ぎ込んでいる莫大な資金をこっちへ回せば、数十年もかからないうちに十分な電力は確保できるといろんなサイトを覗いて見れば何処にでもそう書いてある、なのに何故原子力にしがみ付く。
これらは全てクリーンエネルギー、今回の放射能騒ぎや電力不足で原発のリスクは十分身に染みたじゃないか、その後の処理費用も税金や電気料金で賄おうなんて非常にふざけた話、このことに噛み付かない政治も新聞もTVもおかしい。
クリーンエネルギー産業で日本はまた世界に抜きん出れる、多くの雇用も見込まれる、これが一番の復興策じゃないでしょうか。この事もあっちこっちに書いてある。
水から無限に水素も取り出せる、危険もあるだろうが技術で押さえ込める、エタノール燃料の抽出技術も日々進んでいる。人の手で押さえ込めない恐怖を撒き散らす放射能はどう考えても得策ではない。
みんなも声を大にして言い続けようよ、知識を得よう。近い将来また地震は起きるのは確実ですよ。
もう想定外とは言えませんよ、何が起きるか想定できますから。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。
指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。
未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。
日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。
災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。作る暇などないからである。
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