赤灯台、今では新港・長浜堤防などで影が薄くなっていたが、私達以前の世代には名瀬の港に欠かせない風景の一つであったはずである、小学校のスケッチ、釣、中学生・高校生の可愛いデートスポット、体育祭の応援練習もよくやっていた。それが今取り壊されつつある。ここは私にとっては思い出深い幼稚園・小学校時代この灯台の入り口にあった発電所に父が勤務し、その横にあった住宅に住んでいた、社宅の子供達・塩浜地区の友達との格好の遊び場だった。台風の時堤防にたたきつけられ打ち上がる波のトンネルくぐりをした、所々にあいている排水用の穴から噴出す波に吹き飛ばされて喜んでいた、台風が過ぎ去った後に打ち寄せられたゴミをあさってボール集めをした、堤防の継ぎ目継ぎ目の隙間に小銭と草履とズックとおもちゃが落ちて挟まったままだ、子猫捨てのポイントでよくそれを連れて帰って母に怒られた・・・・
その発電所も住宅もだいぶ以前に無くなり寂しい思いをしていたが赤灯台まで無くなるともうその頃の風景が完全に消される事になる、それだけ年をとったという事なのか、それだけ町が発展したという事なのか?
戦前戦後奄美の交通・流通の拠点であった名瀬旧港が数年のうちに埋め立てられる