地元の人達は、何処かで見たことあるとお思いでしょう、 住用の三太郎トンネルの役場側入り口脇にある大きな黄色いカタツムリ? 大正8年から平成3年までの71年間電気を作り続けてきた水力発電所の水車です、150kwの出力は現在では標準的家庭の1ヶ月分に満たない程度のものでしょうが当時電化製品の無い時代、ほとんど電灯用として大変貴重な物だったでしょう、それ以上に凄さを想像させるのは、この直径3m近い鉄の塊をこんな離島のへき地の道も整備されていない重機もない中、この山の中まで運んだ事、ダムを造った事、この奄美にも「プロジェクトX」があったことを改めて記憶していただきたい。
因みに私の父が電力会社に入社した昭和38年、最初の仕事は夜間に村々を回り電気泥棒を探す事だったとの事、当時一軒の家が電気を引くとその線の途中に勝手に分岐して電球をつけることが多々あったらしい。
小学生の時の先生が郵便はがきの当選番号で洗濯機が当たった時にまだコンセントが家に無かったと言う笑い話を思い出した。奄美の全ての村々に電気が行渡るようになったのはまだつい最近の事である。
一度、今電気が無いとどうなるかを想像してみてはいかがかな?
今の奄美大島の電力はここを参照、奄美大島にはもう一箇所大和村名音に水力発電所がある。