昨日、一昨日と小説もどきの文章を書いていて、いくつか気がついた事があります。
まぁ、文章を書き慣れている人には「4年もブログ書いていてそんな事もわからなかったんだ、へぇ~」と笑われるようなことかもしれませんが、自分の反省の意味も込めてのことですので、ご容赦のほどを。
・ブログなどにアップする時は一日置いてからの方が望ましい。
文章を書きあげた瞬間ってのは「やった、面白いぞ!」と興奮しちゃうんですね。でも、翌日アップしたものを読み返してみると、昨日は気付かなかった粗がバンバン見えてきます。恥ずかしや~。だから、できれば一日置いて推敲するのがいいみたいです。
・同じ語尾の連続使用は美しくないね。
GS武流後編から抜粋です。「だだっぴろい場所ならおそらく子供でも逃げ切ることができるだろう。犠牲者になった人たちはおそらく運が悪かったんだろう。」
と、段落は違えど連続で語尾が『だろう』で終わっています。音読してみてわかったのですが、言葉の流れとしては美しくない気がします。ラップみたいに語尾を統一するのは文章には向いていないみたいです。
・頭の中の映像を文章にする時は、取捨選択を。
私がそうなのですが、アニメとか映画が好きな人が小説を書こうとする時は、まず書こうとする話の先っちょから尾っぽまで全てが映像になって頭の中に流れてしまうんですよね。
脳内再生を終え「よーし、こういう流れでいくか!」と腕まくりしてパソコンの前に座るのですが、すぐに頓挫してしまいます。
なんでか。それは「情報量が多すぎてどっから書いていいかわからない」からなんだ……と私は思っています。
例えば映像作品なら、景色、登場人物、状況といった膨大な情報が一瞬で頭の中に入ってきます。しかし、それを文章にするとどこから書いていいか迷ってしまうのです。
こういう時、どうすればいいのか……私なりに試行錯誤してみたのですが、まず(どこ)で(だれ)が(どうした)というシンプルな文章を最後まで書いて、そこから付け足していくといいと思います。
(場所)で(A)が(なになに)した。(B)は(なになに)だから(こうこう)する。
みたいにオープニングからエンディングまでの骨格を作ってから細かい部分を肉付けするのが楽でした。スポンジケーキにクリームや果物をデコレーションしているようで、ちょっと楽しい気分になります。
思いつく限りの肉付けをした後に読み返すと「ここいらなくね?」みたいな部分が絶対出てきます。それを削っていけば、なんとなく形になってきます。
・情報は一気に出すのではなく小出しに。
書く方はすっごいやる気に充ち溢れているから、読んでくれている人に「この作品はこんな設定で面白いんですよー!」とサービス精神満々で様々な情報を教えたくなります。
SFとかファンタジーだと現代日本と世界観も考え方も違うからそこら辺の描写は必要なんでしょうが、いきなり全てをどーんと書くと、読む方が混乱しちゃいます。
ちょっとずつね、その都度必要なシーンが来たら細かく書いていくのがいいと思います。
・あんまり登場人物は増やさない方がいい。
張り切りすぎちゃうとどうしてもいっぱいキャラクターを出したくなるんですよね。でも、ブログに数回載せるくらいの短い小説だったら登場人物はそんなに出さない方がいいみたいです。書いている方も混乱しちゃうし。
とかね、いろいろ反省した部分を思いつくままに書いていったのですが、これがもし次回に小説もどきを書くことがあったら役にたてばいいな。
最後になんですが、私のような素人がこういう反省や推敲をするのは、『プロに負けない小説を創るんだ』ではなく『第三者が読むんだから見苦しい文章にならないために』くらいのモチベーションでやるのが丁度いいと思います。
プロの小説家ともなれば、それはもう長時間も創作の苦しみと闘わなくてはいけないんでしょうけど、こっちは原稿料も印税ももらってない素人です。気楽にやりましょう。
パーティに出る時と同じですよ。ファッションモデルじゃないんだから特別なお洒落はしなくても、人前に出るんだからせめて汚れてない、無様でない格好で参加したいでしょう?
そういうことですよね。ハイ。
まぁ、文章を書き慣れている人には「4年もブログ書いていてそんな事もわからなかったんだ、へぇ~」と笑われるようなことかもしれませんが、自分の反省の意味も込めてのことですので、ご容赦のほどを。
・ブログなどにアップする時は一日置いてからの方が望ましい。
文章を書きあげた瞬間ってのは「やった、面白いぞ!」と興奮しちゃうんですね。でも、翌日アップしたものを読み返してみると、昨日は気付かなかった粗がバンバン見えてきます。恥ずかしや~。だから、できれば一日置いて推敲するのがいいみたいです。
・同じ語尾の連続使用は美しくないね。
GS武流後編から抜粋です。「だだっぴろい場所ならおそらく子供でも逃げ切ることができるだろう。犠牲者になった人たちはおそらく運が悪かったんだろう。」
と、段落は違えど連続で語尾が『だろう』で終わっています。音読してみてわかったのですが、言葉の流れとしては美しくない気がします。ラップみたいに語尾を統一するのは文章には向いていないみたいです。
・頭の中の映像を文章にする時は、取捨選択を。
私がそうなのですが、アニメとか映画が好きな人が小説を書こうとする時は、まず書こうとする話の先っちょから尾っぽまで全てが映像になって頭の中に流れてしまうんですよね。
脳内再生を終え「よーし、こういう流れでいくか!」と腕まくりしてパソコンの前に座るのですが、すぐに頓挫してしまいます。
なんでか。それは「情報量が多すぎてどっから書いていいかわからない」からなんだ……と私は思っています。
例えば映像作品なら、景色、登場人物、状況といった膨大な情報が一瞬で頭の中に入ってきます。しかし、それを文章にするとどこから書いていいか迷ってしまうのです。
こういう時、どうすればいいのか……私なりに試行錯誤してみたのですが、まず(どこ)で(だれ)が(どうした)というシンプルな文章を最後まで書いて、そこから付け足していくといいと思います。
(場所)で(A)が(なになに)した。(B)は(なになに)だから(こうこう)する。
みたいにオープニングからエンディングまでの骨格を作ってから細かい部分を肉付けするのが楽でした。スポンジケーキにクリームや果物をデコレーションしているようで、ちょっと楽しい気分になります。
思いつく限りの肉付けをした後に読み返すと「ここいらなくね?」みたいな部分が絶対出てきます。それを削っていけば、なんとなく形になってきます。
・情報は一気に出すのではなく小出しに。
書く方はすっごいやる気に充ち溢れているから、読んでくれている人に「この作品はこんな設定で面白いんですよー!」とサービス精神満々で様々な情報を教えたくなります。
SFとかファンタジーだと現代日本と世界観も考え方も違うからそこら辺の描写は必要なんでしょうが、いきなり全てをどーんと書くと、読む方が混乱しちゃいます。
ちょっとずつね、その都度必要なシーンが来たら細かく書いていくのがいいと思います。
・あんまり登場人物は増やさない方がいい。
張り切りすぎちゃうとどうしてもいっぱいキャラクターを出したくなるんですよね。でも、ブログに数回載せるくらいの短い小説だったら登場人物はそんなに出さない方がいいみたいです。書いている方も混乱しちゃうし。
とかね、いろいろ反省した部分を思いつくままに書いていったのですが、これがもし次回に小説もどきを書くことがあったら役にたてばいいな。
最後になんですが、私のような素人がこういう反省や推敲をするのは、『プロに負けない小説を創るんだ』ではなく『第三者が読むんだから見苦しい文章にならないために』くらいのモチベーションでやるのが丁度いいと思います。
プロの小説家ともなれば、それはもう長時間も創作の苦しみと闘わなくてはいけないんでしょうけど、こっちは原稿料も印税ももらってない素人です。気楽にやりましょう。
パーティに出る時と同じですよ。ファッションモデルじゃないんだから特別なお洒落はしなくても、人前に出るんだからせめて汚れてない、無様でない格好で参加したいでしょう?
そういうことですよね。ハイ。