何でも、元いじめられっこがいじめっこを刺したらしいですね。
うーん……ニュースで報道されていることが正しいとしたら、刺し殺された方は因果応報といった所ですかねえ。
よく「いじめくらいで人を殺さなくても…」という人もいますが、逆に考えれば「殺されるくらいにいじめていた」と考えることもできます。
小学校中学年の頃にいじめられっこだった自分としては、今回の事件はなんともやりきれない気持ちだったりします。
まぁ、こっからは全て私の私見ですよ?
よく「いじめられてもしょうがない奴」という形容がありますが、たしかにそういう人はいます。でも、だからといってそれが苛めをしていいという免罪符にはならんのですよ。
いいじゃないですか。いじめで追い込まれて自殺するくらいなら、いじめっ子に一矢報いましょうよ。「殺すのは酷いんじゃ…」と眉をひそめる人だって、いじめられっ子が自殺したら「自殺する位なら…」とか言うに決まっているんですから。日本は法治国家だから復讐は犯罪ですが、犯人は法で裁けない恨みだから自分の手で果たしたんでしょうに。
自分の恥を晒すことになりますが、私も小学3~4年くらいの時にいじめを受けていました。まぁ、いじめってのはねえ……怖いですよ。立ち向かえないいじめられっ子にも問題があると思うかもしれませんが、反抗できないような状況になっているから苛めなんですよ。立ち向かえる状況は苛めではなく、喧嘩ですから。
漫画に出てくる苛めっ子というのは太っていて力が強い乱暴者が多いですが、どっこい現実は違う。太っている子はむしろ苛めの対象になりやすいのです。私、当時は肥満児だったんです。小学三年生で50kg以上あったかな。見事な肥満児だ。
身長が人並みになってようやく人より少し細身になったけど、あの時の私は典型的ないじめられっ子でしたね。ノートに落書きされたり、筆箱にチョーク粉詰められるは、後ろから消しゴム片投げられるは……ああ、ちょっと思い出してブルーになってきたぞ。
内向的だったからなあ……。
私を苛めていたのは、顔もそこそこ良く、スポーツも出来て身長も高いクラスの人気者でした。はは、子供って残酷なもんでな。総合的に自分より劣っている者を見るといじめたくなるらしいなあ。当時、私が好きだった女の子がそいつが好きだとわかった時が一番嫌な思い出だな。
そして、彼に便乗して私を苛めたのが3人かな……。いじめをする奴は最低だけど、そのいじめっ子に便乗する奴らが一番卑怯と思う。
親には言えませんでした。心配を掛けたくなかったから。
担任は知っていたのか知らないのか……。特に何もしてくれませんでしたねえ。
いじめっ子の親に言う手もありましたが、それはしませんでした。それをした途端に自分が、そのいじめっ子と同レベルになってしまうからです。向こうが卑怯だからってこっちまで相手のレベルに落ちる必要もないだろうと思ってました。
変な理屈でしょう? でも当時の私は決して大人の手を借りるのは卑怯と思っていたのです。自分の問題だから自分がなんとかしなくては……と。
これがねー。当時の私の性格の厄介な所だったんですよ。
内向的な癖に目立ちたがりで、人と争うのが嫌いな癖にすごい頑固。間違っていると思うことは絶対に間違ってるって言ってたし。これは今でもそうなんだけどね。
しかし、人生にはターニングポイントというのがある。私のターニングポイントは落語クラブに入った事だ。小学校の生活が地獄から天国になった。
本当は違うクラブに入りたかったんだけど、上級生から好きなクラブに入れるので下級生は余りから選ばなければならない。余っていたのが落語クラブだったのだ。
が、ここがよかった……。人前で噺をする事によって、私の性格が徐々に外交的になってきたのだ。「○○亭 飛慢児(ひまんじ)」と自分が太っている事をギャグにした芸名をつけるくらいまでになった。
顧問の先生。クラブ初日に私のフリートークを褒めてくれてありがとうございました。先生のお陰で自分に自信を持つことができました。
自分の噺を聞いて皆が笑ってくれる。元から目立ちたがりの要素もあったので人に注目を浴びるのが物凄い快感なのだ。しかも自分の話す落語で大笑いしてくれる。
身長も伸びてクラスで1・2番目の身長にもなり(と、いっても150cm代後半だが)いじめられる事もなくなった。中学は私立に行ったのでいじめっ子と完全に決別。
あの頃の事はたまに思い出す。もう、私を苛めた人の事は恨んでいない。でも、一生忘れない。
うーん……ニュースで報道されていることが正しいとしたら、刺し殺された方は因果応報といった所ですかねえ。
よく「いじめくらいで人を殺さなくても…」という人もいますが、逆に考えれば「殺されるくらいにいじめていた」と考えることもできます。
小学校中学年の頃にいじめられっこだった自分としては、今回の事件はなんともやりきれない気持ちだったりします。
まぁ、こっからは全て私の私見ですよ?
よく「いじめられてもしょうがない奴」という形容がありますが、たしかにそういう人はいます。でも、だからといってそれが苛めをしていいという免罪符にはならんのですよ。
いいじゃないですか。いじめで追い込まれて自殺するくらいなら、いじめっ子に一矢報いましょうよ。「殺すのは酷いんじゃ…」と眉をひそめる人だって、いじめられっ子が自殺したら「自殺する位なら…」とか言うに決まっているんですから。日本は法治国家だから復讐は犯罪ですが、犯人は法で裁けない恨みだから自分の手で果たしたんでしょうに。
自分の恥を晒すことになりますが、私も小学3~4年くらいの時にいじめを受けていました。まぁ、いじめってのはねえ……怖いですよ。立ち向かえないいじめられっ子にも問題があると思うかもしれませんが、反抗できないような状況になっているから苛めなんですよ。立ち向かえる状況は苛めではなく、喧嘩ですから。
漫画に出てくる苛めっ子というのは太っていて力が強い乱暴者が多いですが、どっこい現実は違う。太っている子はむしろ苛めの対象になりやすいのです。私、当時は肥満児だったんです。小学三年生で50kg以上あったかな。見事な肥満児だ。
身長が人並みになってようやく人より少し細身になったけど、あの時の私は典型的ないじめられっ子でしたね。ノートに落書きされたり、筆箱にチョーク粉詰められるは、後ろから消しゴム片投げられるは……ああ、ちょっと思い出してブルーになってきたぞ。
内向的だったからなあ……。
私を苛めていたのは、顔もそこそこ良く、スポーツも出来て身長も高いクラスの人気者でした。はは、子供って残酷なもんでな。総合的に自分より劣っている者を見るといじめたくなるらしいなあ。当時、私が好きだった女の子がそいつが好きだとわかった時が一番嫌な思い出だな。
そして、彼に便乗して私を苛めたのが3人かな……。いじめをする奴は最低だけど、そのいじめっ子に便乗する奴らが一番卑怯と思う。
親には言えませんでした。心配を掛けたくなかったから。
担任は知っていたのか知らないのか……。特に何もしてくれませんでしたねえ。
いじめっ子の親に言う手もありましたが、それはしませんでした。それをした途端に自分が、そのいじめっ子と同レベルになってしまうからです。向こうが卑怯だからってこっちまで相手のレベルに落ちる必要もないだろうと思ってました。
変な理屈でしょう? でも当時の私は決して大人の手を借りるのは卑怯と思っていたのです。自分の問題だから自分がなんとかしなくては……と。
これがねー。当時の私の性格の厄介な所だったんですよ。
内向的な癖に目立ちたがりで、人と争うのが嫌いな癖にすごい頑固。間違っていると思うことは絶対に間違ってるって言ってたし。これは今でもそうなんだけどね。
しかし、人生にはターニングポイントというのがある。私のターニングポイントは落語クラブに入った事だ。小学校の生活が地獄から天国になった。
本当は違うクラブに入りたかったんだけど、上級生から好きなクラブに入れるので下級生は余りから選ばなければならない。余っていたのが落語クラブだったのだ。
が、ここがよかった……。人前で噺をする事によって、私の性格が徐々に外交的になってきたのだ。「○○亭 飛慢児(ひまんじ)」と自分が太っている事をギャグにした芸名をつけるくらいまでになった。
顧問の先生。クラブ初日に私のフリートークを褒めてくれてありがとうございました。先生のお陰で自分に自信を持つことができました。
自分の噺を聞いて皆が笑ってくれる。元から目立ちたがりの要素もあったので人に注目を浴びるのが物凄い快感なのだ。しかも自分の話す落語で大笑いしてくれる。
身長も伸びてクラスで1・2番目の身長にもなり(と、いっても150cm代後半だが)いじめられる事もなくなった。中学は私立に行ったのでいじめっ子と完全に決別。
あの頃の事はたまに思い出す。もう、私を苛めた人の事は恨んでいない。でも、一生忘れない。