打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

我が月旦 ~諸葛亮孔明~

2005-12-25 12:41:38 | Weblog
ややヒキコモリ気質で人見知り激しくあるも、雪が降れば浮かれておんもに飛び出る変わり者。ミスター三国志、諸葛亮孔明について語ろうと思います。

どちらかといえば陰性な人柄だったんじゃないでしょうかね。陰性で臆病な所があるも自信家。若い頃、共に学問に励んだ友人たちに向かって

亮「君たちはそれぞれそれなりに出世するでしょう」
友「じゃあ君はどうなるんだい?」
亮「……(にやにや)」

よく徐庶は彼を劉備に推挙したなあ。よっぽど徐庶がいい人だったか、同じ系統の人間だったか。

劉備と孔明の出会いは「三顧の礼」という故事成語になっている。劉備が孔明をスカウトする際に三度も勧誘に訪れたという話だ。

『三顧の礼』
目上の人が、ある人物に礼を尽くして仕事を頼むこと。また、目上の人が、ある人物を特別に信任したり、優遇したりすること。

でも孔明が自分から劉備に売り込んだという説もある。いわゆる就職活動というやつですな。どっちが真実かは判らないけど孔明は劉備の軍師となる。当時から孔明はそれなりに有名だったようで臥竜なんて呼ばれていたらしい(人材コレクターで有名な曹操が仕官を求めなかったのが不思議だ)孔明の師である水鏡先生は「臥竜(孔明)と鳳雛(龐統)のどちらかでも手に入れれば天下を獲れる」と言っていたが、二人ともゲットして天下をとれなかった劉備って一体…。

奥さんが(当時の感覚でいう所の)不細工だったそうな。孔明の嫁選びは真似るなという詩まで作られたらしい(うわあ、奥さんの顔見てみたいなあ)

戦術的な才能は徐庶や龐統には遠く及ばない気がする。徐庶と違って最前線に出て策略を駆使して誰それを打ち破ったという話もないし、総指揮官としては有能だったのでしょうが。リアリストの龐統に比べてロマンチストだったのではないのでしょうか。劉備のためには暗殺すら企む龐統に比べて、どうもツメの甘い部分が見える。それが愛弟子の馬謖の悲劇、魏延の裏切りを呼ぶ事になる(初対面の出会い頭に「殿(劉備)、魏延は処刑すべきです!」なんて言われればそりゃ魏延も怒るよ。しかもその理由が人相学的に裏切る頭の形をしているからだとか)

結論として諸葛亮孔明は………ものすごい変わり者だってことなのかなー。