打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

我が月旦 ~関羽雲長~

2005-12-14 21:52:45 | Weblog
曰く! 三国志界のホームラン王!!

曰く! 死して後、神となった男!!

と、数限りない異名を持つ男、関羽雲長です。今夜は私なりの関羽雲長について語りたいと思います。

………あの、大河ドラマ「新撰組!」と観られていた方にしかわからない話と思うのですが、沖田総司が近藤の養子、周平をぶん殴るシーンがあるんですよ。

沖「なぜ一生懸命生きようとしない!」
周「やっています」
沖「ならもっと剣術が上達しているはずだ!!」

といった感じの掛け合いがあるのですが、周平はけして怠けていたわけではないのです。ただ人には向き不向きがあるわけで。沖田は剣術の才能が人一倍ずば抜けているゆえに、素質のない人の立場で考える事ができないわけですね。

関羽もそんなタイプの人間だったと思うんですよ。生まれ持っての武才に加えて重さ八十斤の青龍円堰刀。おまけに義弟の張飛や同僚の趙雲も同タイプの天才肌。周りに慣れてしまって、武才のない人のスタンスで考える事ができなかったのだと思う。それが彼を非業の死に追いやる事になる……。なんてな!

超体育会系だったはずですよー。目上には礼儀正しく、下には厳しい人みたいですから。その目下に対する厳しさ、思いやりのなさが彼を非業の死に追いやる事になる…ってこれは義弟の張飛にもいえる事なんですよね。

それとですね。わりと融通が利かない頑固な人だったと私は考えるです。
劉備が袁紹の下に居候していた時(本当に居候生活が似合うなあ、この人)ライバルである曹操軍に関羽はいた。その戦で関羽は袁紹軍の猛将、顔良を一撃で討ち取っている。一説によると、顔良は関羽に劉備が自軍にいることを知らせようと近寄った所をズンバラリンされたとある。

顔「おーい。関羽どのー。実はうちに貴殿の義兄…」
関「たらら~ お命頂戴!!」(ズンバラリン)

その後、劉備が袁紹の下にいる事が判った関羽は、曹操軍から許しを貰って劉備のところへと駆けて行く(曹操からもらった金銀財宝に美女は返還しているが、赤兎馬はちゃっかりと頂いているのが関羽らしいというか)

劉備の下へ行くには五つの関所を通らなければならない。一つ目の関所で止められた関羽は

関「それがしは曹操殿の許しを得ている。通らせてもらう」
守「それでは確認のために殿(曹操)の下へ早馬を出しますのでお待ちください」
関「そんなの待っていられるか!!たらら~(以下略)」

待ってやれよ……。一つ目の関所なら往復でもそんなに掛らないだろう。数日でしょう?
関羽が五つの関所を抜けるまでに六人の命が散らされる。

なんか…あれ?私ひょっとして関羽嫌い?(汗)