打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

我が月旦 ~劉備玄徳~

2005-12-13 16:21:23 | Weblog
前にも書いたが私は三国志が大好きだ。いろんな漫画や小説を読み、ちょっとばかし正史にも手を出したりしている。歴史が好きな人なら誰しも自分なりの人物イメージというのがあるはずだ。だからここに私なりの人物評を載せてみようと思う。日常生活を書くのもネタに詰まってきたし(笑)これを読んで「私はこう思う」「いや、ソレは違うんじゃないかな?」と思う人がいたら教えて頂きたいです。
今日は三国志のメイン人物の一人、劉備玄徳について。

……苦労人ですね。二十代半ばから義兄弟と挙兵をするも、どうもいまいちツキがない。蜀を手に入れるまでは、誰かのお世話になっているか、お世話になっていない時は流浪生活をしているかのどっちかだった。
無類の強さを持つ義兄弟に挟まれて埋もれてはいるが、若い頃は馬商人の用心棒をしていたというから、それなりに腕っ節は強かったのだと思う。曹操軍の豪傑六人がかりでも仕留める事ができなかった呂布相手に、いくらあの義兄弟達と三人がかりとはいえ白兵戦に持ち込むなんて自分の武芸に自信がなければできっこない。

妙に人に好かれる所があったと思う。自分が好む人物も好まない人物も構わず惹き付ける魅力があったはずだ。徐州でも荊州でも太守になってくれと言われたり、曹操に注目されていたりしている。それと頼まれたら断れないタイプの人間だったかもしれない。流浪生活で自分の食い扶持すら困っているであろう状況で趙雲を家臣にしていたり、一時期徐州の太守になった際に あ の 呂布を受け入れている(しかもお約束のように裏切られて流浪生活に。本人も「あ、また放浪者になってしまった。次はどっちに行こうかなあ」なんて暢気に思っていたかもしれない(笑))

劉備玄徳の人一倍優れている部分を一つ挙げろと言われたら、それは「人を見る目」を挙げたい。

関羽と張飛という稀代の豪傑二人を義弟にしたこと。諸葛亮が斬れと言った魏延を斬らなかったこと(魏延は劉備が生きている間は裏切らなかった)諸葛亮が溺愛していた馬ショクをあまり重用するなと忠告したり(後に馬ショクは蜀にとって痛恨のミスを犯すことになる)それになんといっても当時27歳の引き篭もり気味の青年を軍師に抜擢したというのが何より彼の人を見る目の鋭さを現しているのではなかろうか。

大雑把に書きましたがこれが私の劉備観です。みなさんの劉備観はどうでしょうかー。