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興味があることだけ

目標は日本100名城の制覇

恵美須ヶ鼻造船所跡

2018年09月21日 | 訪問記 山口県
12時半頃に到着。



【恵美須ヶ鼻造船所跡】
萩市椿東5159-14



1856年に萩藩が設けた造船所の跡地。



1856年に萩藩最初の洋式軍艦丙辰丸が、1860年には
2隻目の庚申丸が建造されました。



現在も当時の規模のままの防波堤が残っています。



防波堤の上からの景色。

萩反射炉

2018年09月21日 | 訪問記 山口県
郡司鋳造所遺構広場から自転車で約15分弱。



【萩反射炉】
萩市椿東4897-7



萩藩が鉄製大砲を鋳造するために、1856年に試作的に
築造した金属融解炉。



最終的には技術面、費用面の限界から、本式の反射炉の
築造を断念。



残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5メートル
の安山岩積み(上方一部レンガ積み)。

郡司鋳造所遺構広場

2018年09月20日 | 訪問記 山口県
萩反射炉へ向かう途中に立ち寄りました。



【郡司鋳造所遺構広場】
萩市椿東



萩藩のお抱えの鋳物師だった郡司家の鋳物工房の遺構を
移築復元整備した広場。



巨大な石組みの大砲鋳造遺構。



在来技術である、こしき炉によって西洋式大砲を鋳造。



この後は北へ進み、長添山トンネルを抜けます。

伊藤博文別邸

2018年09月20日 | 訪問記 山口県
東光寺まで来た道を戻り、伊藤博文陶像の前に着いたのは
11時半頃。



伊藤博文旧宅は、元は萩藩の中間・伊藤直右衛門の居宅
だったが、1854年に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の
養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。



博文が松下村塾に入塾したのは1857年。



【伊藤博文別邸】
萩市椿東1511-1



旧宅の隣に、移築された別宅があります。



別邸は明治40年に東京府下荏原郡大井村に建てたもの。



1枚板を使用した鏡天井廊下。

吉田松陰誕生地

2018年09月20日 | 訪問記 山口県
東光寺を出て坂を上る。



上っていった途中、右手にある吉田松陰の墓及び墓所。



この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉
晋作らの墓が立ち並んでいます。



松陰の墓は、遺髪を埋めて百ヶ日忌に建てられたもの。



明治維新100周年を記念して、昭和43年に建立された
吉田松陰先生銅像。



松陰が弟子の金子重輔を従え、下田沖のペリー艦隊を
見つめている姿を彫刻したもの。



墓所の隣に松陰の実家、萩藩杉家の旧宅地があります。



【吉田松陰誕生地】
萩市椿東1433-1



松陰は1830年に杉百合之助の次男としてこの地に誕生。



松陰先生産湯の井もありました。