takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

佐大ワンゲル合宿記 信州編(その1)

2016年11月12日 | 福岡

 これから何回かに分けて佐大ワンゲル部の合宿旅行記録を書いていこうと思う。

 私はそもそも山登りが好きだった訳ではない。高校までは一度も山登りなんかしたこともなかったんだから。佐賀大学に入学した1978年4月、大学のメインストリートでは、各サークルが新入生勧誘を行っていた。特に何かをやりたいと思っていたわけではなく、スポーツ(サッカー、野球、テニスなどの球技)は苦手(というよりやりたくない)なので、将棋、碁、英会話サークルなどに興味を持っていた。

 メインストリートを歩いていると、ワンゲル(それまで聞いたこともない名前)の人が、「ちょっと話を聞きにボックス(サークルの部屋のこと)に来てみない?」と呼び止められた。ついて行くと、山登りのサークルだった。季節ごとの合宿の写真を見せられ、いろいろな楽しそうなエピソードを聞いていると、何だか面白そうだなと思い即決入部してしまった。これが山登りが好きになった原点。

 それに嫌いな球技でもないし、自分のペースで登れると思っていた。それはちょっとした誤算。単独行ではないので、他のメンバーと一緒に行動しなきゃならないので、そう思い通りにはならない。

 入部するとすぐに、新入部員は福岡にある「水田山の店」(だったかな?)に連れていかれ、高い登山靴や登山服を買わされた。貧乏学生には辛かった。

 合宿記録の第1回目は、「信州サイクリングと登山

 「下諏訪茅野八ヶ岳霧ヶ峰高原蓼科高原南アルプス(北岳)~富士五湖~小田原~静岡

 当時の旅行計画書と写真は全部捨ててしまったので、36年前の記憶をたどって書いていく。なぜ思い出の物を捨ててしまったのだろう。

 2013年4月に当地に来る際に、持っているほとんどの物を捨てざるを得なかった。福岡からホーチミンまで、「China Eastern Airlines」を利用したが、受託手荷物はスーツケース2個(1個あたり23キロまで)という制限があったので、教材やパソコン、衣類などを入れると一杯になって写真などを捨ててしまった。

 今にして思えば、たいして重いものでもないのに、何で捨ててしまったんだろうと思う。

 佐大3年(1980年)の夏、信州でサイクリングと登山をした記録。

 メンバーは5人(だったと思う。36年も前のことで、しかも、各合宿ごとにメンバーが入れ替わるので記憶が定かでない)。同期のS島、2年のО石、1年のМ村、T崎)。

 長野までは電車で移動するが、自転車をそのまま電車に乗せることはできないので、工具でばらばらにして「輪行袋」に入れて運ぶ。その時、自転車の解体、組み立て、パンクの修理などいろいろ勉強した。

 佐賀駅でワンゲルの面々に見送られて、遠い遠い長野までの電車の旅が始まった。遠いと言っても、学生は時間があって暇なので大したことじゃない。貧乏学生なので、新幹線や特急は利用できない。

 長野までは急行と普通を乗り継いで行った。電車内で昼間は椅子に座って過ごし、夜になってお客さんが少なくなると、4人座りの座席を回転させて、隣あった座席の背と背を合わせるようにすると、その下に寝るのにちょうどいい空間ができる。そこに寝袋(私達はシュラフと呼んでいた)を敷いて寝るとそれなりに快適に寝れた。

 そして、長野県に入り、「塩尻」で電車を乗り換え、最終目的地の「下諏訪駅」で下車。下諏訪は諏訪湖に面した小さな駅。

 続く話は次回に・・・。

 それにしても人の記憶というものは確かじゃないなと思った。比較的はっきり覚えているものもあれば、全く思い出せないものもある。まさにまだらボケ。

 


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お弁当

2016年11月10日 | サイゴン生活

 学生に「一人暮らしですか。それとも、家族と一緒に住んでいますか」と聞いたことがあります。

 答えは、地元出身のため家族と一緒に住んでいると答えた学生はほんのわずか。他のほとんどの学生は田舎から出てきている。ここでの生活費は田舎に比べてかなり高いので、ほとんどの学生はシェアハウスをしている。2人から4人ぐらいでだろか。

 2年程前に学生に食事に呼ばれて、日本人の留学生2人(OOSAKA大学から来た留学生)と一緒に部屋へ行ったことがある。

 その学生の部屋は、大家が使っていない部屋を間貸ししているもので、6畳ぐらいの広さの部屋に2人でシェアしていた。部屋にあるのは、組み立て式のロッカー、扇風機、寝具ぐらい。机もない。机を置くと部屋が狭くなるので、置きたくても置けないのだろう。何とも苦学生。

 シャワー、トイレ、台所は大家さんのを使っていた。そして、3人でわいわいがやがや楽しそうに料理を作ってくれた。楽しい思い出。

 今日の話題はお弁当。

 先日、3年生の2人(2人はシェアハウスをしている)が、外国人教師寮の入り口で私を呼んでいる声がする。行ってみると、「私達、部屋でお弁当を作りました。よかったら食べてください。」

 嬉しかった。普段は、健康のため昼食を食べないが、せっかく作ってくれたお弁当を美味しくいただきました。

  持ってきてくれたお弁当箱。

 このお弁当を作ってくれた2人

 

 

 

 量が多くて食べきれないので、昼、夜、翌日の朝の3回に分けて食べました。

 

 一見、カボチャのスープのようだけど、カボチャじゃない。結局わからなかった。

 

 

 


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どうしてそんなに気が荒れているんですか?

2016年11月08日 | サイゴン生活

 2013年4月6日に初めてベトナムの地に降り立った時、これから働くV大学(V大学では2013年から2年間働いてから辞めた)の外国部学部長が、タンソンニャット国際空港に出迎えに来ていただいた。

 到着時間が23時と深夜にもかかわらず迎えに来ていただいた。そして、予約していたホテルに向かう時のこと。

 タクシーの運転手のマナーに驚愕した。驚愕とは

 確かにここでは、道路は車とバイクが混沌としているからしかたないかもしれない。

 でも、タクシーの運転手は、前にバイクが来ると「どけどけ!」とクラクションを鳴らす。ただ鳴らすだけでなく、「ビビビビー!ビビビビー!」としつこく鳴らす。「俺様が通っているんだ。どけー」。

 その当時は、こんなマナーが悪い運転手にたまたま出くわしたんだって思ってた。

 ところがである。ここに住んで4年目になると、このタクシーの運転手だけが特別ではないことがよ~く分かってきた。

 横断歩道を渡っていると、歩行者にとって一番危険なのは、歩行者を見ていながら、徐行もせずに逆に加速して歩行者を巻き込みながら危険運転する人達が実に多いこと。本当に危険極まりない

 あなた達は、どうして他の人のことを思いやることができませんか

 どうしてそんなに気が荒れているんですか?

 


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がん細胞は低体温が好き

2016年11月08日 | サイゴン生活

 「がん細胞は低体温が好き」。何とも刺激的なタイトル。

 父は胃がん、母は肝臓がんで亡くなった。両親ががんにかかった時にがんについて調べてみた。

 そうすると、「がん細胞は、35度台の低体温で最も活性化する」らしい。

 低体温→http://www.taioninfo.com/category5/entry16.html

 私はずいぶん前から体温は35度台。今朝、体温を測ると35.6度。がんが増殖しやすい体質なんだ。

 では、低体温を改善するにはどうしたらいいんだろうか?

 筋肉量を増やす、食生活を改善する、バスタブにゆっくりつかって体を温める、こんなところだろうか。

 でも、この3つともいざ実行するとするとなかなか難しい。特に3つ目はここでは無理。地元の人は皆シャワー。そもそも家庭にバスタブがある家なんて聞いたことがない。

 がんは先天的な要因というよりも、喫煙や食生活、運動などの生活習慣に起因すると言われている。生活習慣は、実際にがんと告知されないと改善するのは難しいかも。

 もし、がんと告知されたら、私は秋田県の「玉川温泉」に行って長期療養をしようと思ってる。

 玉川温泉→https://gansupport.jp/article/series/series01/series01_02/3585.html

 これから日本は冬に向かう。これからの季節、とても辛い思いをしていた。

 厳冬期、手先と足先がしびれて我慢ができなかった。手先、足先の末梢神経まで温かい血液が通わないんだろう。

 それに対して、ここは最高気温が1年中、31度から35度なので、1年中真夏日。熱帯なので当然。それで、日本の冬の辛さを味わうことがない。

 私がここで生活している大きな理由の一つはこれ。

 


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大学図書室

2016年11月06日 | サイゴン生活

 私が勤めている大学(全部で7学部あり、学生数は16,000人)の外国語関係の学部は昨年組織改編があり、現在は国際学部(英語学科、日本語学科、韓国語学科、中国語学科)となりました。

 国際学部には共用の図書室があって、学生が自由に利用できるようになっています。先日、図書室に行った時のこと。

 日本語学科2年生のFさんが私に声をかけました。

 Fさん:「この人(Mさん)は私の友達です。英語学科の学生です。」

 私は、そのМさんがてっきりベトナム人だと思いました。でも、そのМさんに日本語で話しかけました。

 私:「クラスには何人の学生がいますか?」

 Мさん:「17人です」

 私:「先生は外国人ですか?」

 Мさん:「いいえ、ベトナム人です。」

 ここまで会話して、ベトナム人だと思っていたМさんが、あまりにも流暢に日本語を話すので、聞いてみました。

 私:「日本語が上手ですね。どこで勉強しましたか?」

 すると、Мさんが大笑いして、「私は日本人です。」

 私も大笑い。本人にはちょっと失礼ながら、ベトナム人に見えたんです。

 それから、色々な話になり、どうしてこの大学の英語学科に留学しているのかを聞いてみました。

 Мさん:「私は大阪にある私立O大学の3年生です。O大学とこの大学は交換留学協定を締結していて、お互い学費は免除になっています。それで、今年の9月から半年間留学することにしました。」

 私:「将来どんな職業に就きたいですか?」

 Мさん:「英語を生かせる仕事をしたいです。今考えているのは、海外で働ける仕事。例えば、豪華客船の客室乗務員など。」

 私:「そのような仕事は人気があり競争率がとても高いですよ。その仕事を希望している英語のネイティブスピーカーが競争相手になるかもしれませんよ。」

 それからМさんに「出身はどこですか」と聞くと、「沖縄」という。

 私も沖縄に2回勤務した経験があるので興味があり、「沖縄のどこですか?」と聞くと、「浦添市」。 

 浦添市といえば、昭和63年10月から平成3年3月まで住んでいた所。

 私:「浦添市前田に住んでいました。沖縄には読み方が難しい地名がありますね。浦添市にもありますね。」

 それから、Мさんと浦添市の地名の話になりました。

 地名の問題です。

 「勢理客」と書いて何と読むでしょう?。答えは「じっちゃく

 では、これは何と読むでしょう。「城間」 これはぐすくま

 するとМさん、「私は勢理客の出身なんです。両親や兄弟は今もそこに住んでいます。」

 私:「どうして大阪のО大学を志願したんですか・」

 Мさん:「検討した中では、学費が一番安かったからです。」

 Мさん:「私は兄弟が多いので、両親から「大学の学費も活費も一切出せない。大学に行きたければ奨学金を借りなさい。」と言われました。そこで、学生支援機構の奨学金(私学で自宅外)を満額借りています。それだけでは足りないのでアルバイトで生活費を稼いでいます。」

 私:「4年間の奨学金の総額は大変なものになりますよ。」

 Мさん:「わかっています。同じような環境の先輩から聞きました。卒業後、社会人生活は借金の返済から始まります。マイナスからのスタートなんです。でも、兄弟が多いのでしかたありません。」

 そのМさん、今年の春に2か月間、フィリピンのセブ島に語学留学していたそうです。

 私は、2013年の夏休みに語学留学を検討した時に、セブ島かフィジーにするか相当迷いました。迷った結果、フィジーに1か月間留学しましたが、結果的にはフィリピンの方がよかったと思っています。

 それは、フィジーは学校形式で1クラス10人程度。それに対してセブ島ではマンツーマンの授業なんです。

 それをМさんに聞くと、「セブ島でマンツーマンのレッスンを受けて、自分でも英語力がついたと実感しました。」

 Мさん頑張って!。これから色々な逆境があるとは思いますが、「道は必ず開ける」と信じて前に進んでほしいです。

 


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