takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

「南に遠く」

2017年06月30日 | 福岡

  佐賀大学ワンゲル同期で、ブログ仲間Hの了解を得てそのブログを引用します。

 そのタイトルは「tenzanbokka78

 

「南に遠く」を求めて(1)

2014年01月19日 | エッセイ


7か月、ネットのない生活をおくりました。
はじめの頃は、いろいろと不自由を感じていました。
買い物、交通機関や宿の予約、調べ物にと、現代は生活のツールとして、ネットがあたり前の世の中になっています。
途中、インターネットの光を契約をしたのですが、工事をいつまでも待たされたので、短気をおこしてキャンセルしました。
短気は損気と後悔もしましたが、そのうちネットのない生活にも慣れました。
情報源として、新聞はよく読むようになりました。
ネットでの衝動買いもなくなり、物が増えないと家内は喜んでいました。
そんな中で、調べ物だけは困っていました。
先日、やっとネットを繋ぎ、いろんな情報が瞬時に手に入ることの便利さを今更ながらかみしめています。

ブログ復帰第1弾として、ネット中断中に調べた「南に遠く」の歌詞について、数回にわたって述べてみたいと思います。
旧制佐賀高校の寮歌については、以前のブログで何度か綴りましたが、あれは自分の中では完結していたのですが、後輩のDが旧制佐高の寮歌のCDを送ってくれて4番、5番の存在を知りました。
ところが、CDを何度聞いても歌詞が聞き取れませんでした。また、聞き取れても意味がつながりませんでした。
「コウチョ-」「キョートー」「エンリョー」等です。
自分の中にある語彙で変換しても意味が通じないのです。これはネットでずいぶん調べましたが、どうしても分かりませんでした。そもそも、「南に遠く」の歌詞をアップしているのは私と同期のTのブログだけのようです。(たぶん)

どうしても気になっていたので、意を決して、佐賀大学の図書館に行くことにしました。(平成24年11月22日のことでした。)
「旧制佐高時代の物はほとんど残っていませんね」と、図書館の受付で説明を受けたのですが、ダメもとでとふだんは閉まっている2階の書庫の鍵を借りて中を調べました。
無機質な書庫の中、郷土コーナーの書架から、佐高同窓会が出している数冊の冊子を見つけました。ひょっとしたらこの中に…。一気に期待が高まりました。
はたしてその中の1冊、「あった!」と、誰もいない部屋の中で思わずこぶしを握りしめました。(続く)






コメント (2)

 

  上記のブログ仲間Hの記事を見ていたら、38年前の大学時代が懐かしくなり、私の旧ブログを再度アップします。

旧制佐賀高等学校(現:佐賀大学)不知火寮 寮歌を歌う

2013-01-05 | 日記

  遡ること35年前、1978年に佐賀大学に入学し、「不知火寮」に入りました。佐賀大学の前身は「旧制佐賀高等学校」で、1920年に設立され、1950年に廃止され、佐賀大学となったものです。

 その伝統ある大学の不知火寮に入った時の驚きといったら・・今でも鮮明に蘇る。2人部屋で隙間風が入り、暖房がないので冬は寒くて寒くてたまらず、毛布を重ねて布団を巻きつけて眠ったものです。

 深夜やっと眠りに入ったと思ったら、寮のどこからか・・・聞こえてくるのです。「起きろ、起きろ」。

 何だ・・何なんだ・・と呆然としていると、先輩方々が部屋を開け、「これからファイヤーをするぞ。赤ふんどし いっちょになって集会所に集まれ」。

 真冬の酷寒のなか、すっぱだかで白波の一升瓶をかかえ、ラッパ飲みをさせられ、寝ている全ての寮生を起こし、寮歌「南に遠く」を歌い、踊り・・・ああ、高校を卒業して、なんともおっとろしいところに入ったものだ。こうして振り返ると本当になつかしい。青春の貴重な体験です。

 「南に遠く」は、35年前の記憶を呼び起こしながら書いてみました。「南に遠く」を愛し、当時一緒に歌ってくれたブログ仲間Hに加筆修正していただいたものです。

       

                  「南に遠く」 旧制佐賀高等学校寮歌

 

【巻頭言】

お-りゃ おりゃおりゃおりゃ~

仰げば星斗爛かんとして 永久の真理を囁く

頭(こうべ)を巡らせば不知火 延々として 若人の熱を語る

自然の恵み豊かなる この筑紫野の一角 天地の正気おりてたつるもの

実に我が佐大不知火寮なり

いざや歌わんかな 我らが朴訥(ぼくとつ)の歌 南に遠く

いざや踊り狂わんかな 我らが熱血の舞 南に遠く 

アイン ツバイ ドライ 

[1番]                   

南に遠く振古より

ゆえ不知火の熾りたち

明け暮れ若き血に煮ゆる

男(お)の子のこうと促がせば

健児集えるこの野辺を

人崇めたり火の国と 

[2番]

ああ青春よ我にまた

胸に燃え立つ火のありて

行く手遙けき人の世の

旅の標べを求めてぞ

伝えも奇しき不知火の

名に負う寮に籠もりたり 

[3番]

山抜かんとて持つ力

世を覆わんとて抱く意気

幾火となりて血は沸けど       

四年飛ばずまた鳴かず

雲雨を待ちて筑紫野の

月を仰ぎて唱詠す 

月を仰ぎて唱詠す 

 


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街歩き

2017年06月29日 | サイゴン生活

 交通量の多い交差点の歩道上です。右隅の2人は何をしているのでしょうか?

 この店はバイクショップ

 たぶん・・店員の昼食中。まず日本では見られないと思う風景、だから面白い。

 椅子をうまく使って食べていますね。

 いつも行くフーティウ屋台、お客でごった返している。

 

 

 

 

 

 

 なんと美しい

 


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鹿児島の思い出ー「転勤で4回も勤務した懐かしい街」

2017年06月27日 | 福岡
  ホーチミンに移住する直前、ブログ「suwvhochiminh」にアップした記事です。
 

一年前に住んでいた宿舎を見に行く

2013-03-18 | 日記

 早いもので鹿児島を転出してから一年が経とうとしています。屋久島に行った帰り、住んでいた宿舎(鹿児島市下伊敷)がどうなっているのか気になって見に行きました。

 この宿舎は築後40数年がたっていて、老朽化が激しいので一年後に取り壊しになることが決まっています。

 昨年4月以降は新しい人を入れていないので、住んでいる人はほんの少しです。私が住んでいたのは、5階の左から2つ目で当然ながら無人でした。

  

ついでに、鹿児島中央駅にも行きました。

 

 下の写真は、平成7年に、次女(当時2歳)と鹿児島市吉野公園に遊びに行った時のものです。

 その次女(23歳)は、高校卒業後、公務員専門学校に入学し、その同級生と在学中に結婚・出産しました。夫は市役所に勤務しています。

 時々、孫(3歳)の写真を送ってくれます。これは、次女が「ありがとう、ママの荷物を持ってくれて」と言ったときに、照れて笑っている写真だそうです。

 来月会うのが楽しみだ~。

 9月末に第2子(男の子)が誕生予定。これがとっても楽しみ。

  幼稚園のお遊戯会【左から2番目が孫】

 ママとお買い物

 

 
 
 
 

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沖縄料理

2017年06月26日 | 福岡

 ブログ「suwvhochiminh」に2012年10月20日にアップした記事です。

 沖縄事務所に勤務していた、昭和63年10月から平成3年3月までと、平成13年4月から15年3月までの間、職場は那覇市久米にありました。現在は、那覇市新都心に移転しています。

 職場にほど近い所に、地元の人達で賑わっている沖縄料理屋がありました。ここは、観光客が往来する国際通りから離れていることと、「るるぶ」などの観光ガイドブックにも載っていないので、観光客はめったに来ません。だからとても気に入っていました。

 その店の名前は「高良食堂

 ネットで「高良食堂」(那覇市若狭)を調べると、この古き良き建物が、全く違った新築店舗に変わっていて、しかもメニューも沖縄らしくもない舶来のものに変わっていた。経営者が変わったんだろうか?

 でも、それが時代の変遷というものかもしれない。しかしながら、古き良きものがなくなるのは寂しい。 

沖縄の地元の人に人気のある食堂

2012-09-30 | 日記

 高良食堂(場所はないしょ) 
 昼の時間帯は、近くに勤める人などで賑わう。
 国際通りから離れているので観光客はめったに来ない、地元の人に愛されている食堂。
 沖縄で働いていた2年間、ほぼ毎日食べていた。月・水・金曜日はゴーヤーチャンプルー、火・木曜はナーベラー。

 2年間、他の店には浮気もせずに通い続けた。ここの若おやじが実にいいんだ。とても思い出のある大衆食堂なのです。

手書きのメニュー

2012-10-20 | 日記

 高良食堂のメニューは手書きです。お客さんはほとんど地元の人で、店に入る前から今日は○○を食べようと決めてるようで、メニューなんて見ていない様子。
 私が毎日毎日飽きもせずに食べていたのは「ゴーヤーチャンプルー」と「ナーベラーの味噌炒め」(手書きのメニューでは右下に貼ってある)。

 「ナーベラー」は、へちまです。

 「クックパッド」から引用➡ https://cookpad.com/recipe/1140318

 これが高良食堂のナーベラー。地元の人に絶大に支持されている味。

 

 私の昼食は、月曜・ゴーヤー、火曜・ナーベラー、水曜・ゴーヤー、木曜・ナーベラー、金曜・ゴーヤーと日替わりで同じものばかり食べていた。

 他にも沖縄料理はたくさんある(ソーキそば、味噌汁、中味汁、につけなど)が、それらは食べない。好きなものだけしか注文しない。

 それは、ここホーチミンでも同じ。毎日毎日、「フーティウ」だけ。

 ゴーヤーとナーベラーは夏野菜なので、季節が終わったら取り外されます。いつでも取り外せるようにこの位置なのです。



ゴーヤーチャンプルー

2012-10-20 | 日記

 高良食堂の「ゴーヤーチャンプルー」。
 沖縄の「島どうふ」(本土の豆腐に比べて堅く味が濃い)がゴーヤーと絶妙にマッチしておいしいのだ。
 これに「コーレーグース」(島唐辛子泡盛に漬け込んだとても辛い辛い調味料)をガバガバと振りかけて食べる。幸せ。
 写真のハムみたいに見えるのは「ポークランチョンミート」。これはちょいと苦手。

 こうして振り返ると、この頃は昼食を食べていたんだなと思い返した。一日2食(朝食と夕食)にしてから10年ぐらい経つ。

 今では、昼食を食べない生活が快適で健康にいい。

 


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沖縄のエイサー

2017年06月25日 | 福岡

 この記事は、「suwvhochiminh」に2013年3月30日に投稿したものです。

 エイサーは、沖縄県でお盆の時期に踊られる伝統芸能です。若者たちが歌と囃子に合わせ踊りながら地区の道を練り歩きます。

 那覇市内の小中学校でも伝統芸能を伝承するために体育祭などで演舞をしています。下の写真は、長女が那覇市立首里石嶺小学校6年生の時に、体育祭の出し物のために練習しているところです。

 右が長女、現在26歳。医療専門学校を卒業、厚生労働省国家資格を取得して、眼科の検査技師として働いています。➡http://www.ishin.jp/license/qualification/13.html

 子供は3歳と1歳。夫は同じ年齢で、建設会社で働いています。

 

 

 


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